4年2組に「けん玉ブーム」が到来した。ツヨシはけん玉のコツをクラスメイトに優しく教えた。いじめによるわだかまりはなくなり、子ども同士が信頼の絆で結ばれるようになっていった。
けん玉に熱中するツヨシを両親は温かく見守った。やがて、ツヨシ親子は、けん玉を家族ぐるみで楽しむようになった。

 1学期も残りわずかとなり、待望の夏休みが訪れようとしていた。
夏休みは、子どもの人間的な成長の上で欠かせないものを学校教育とは違った形で身に付ける絶好の機会である。夏休みこそ、子どもたちの自主的な計画による様々な体験を積ませたい。
 学期末の学級懇談会の折、私は次のように保護者の協力を求めた。

「夏休みは、子どもにとって、ゆったりと自分の時間を持つことができる季節です。のびのび楽しい夏休みにしてやりたいと思います。お子さんが自分のやりたいことに夢中で取り組み、やり抜いたという充実した気持ちで2学期を迎えることができるよう、ご協力ください。夏休みをどのように過ごすかを家族で話し合ってください」

 夏休みを終え、子どもたちは意気揚々と教室に戻ってきた。どの子からも楽しく充実した夏休みを過ごすことができた満足感が伺えた。
2学期最初の公開授業として『夏休み生活体験発表会』を開催し、多くの保護者に参観していただいた。

 ツヨシは野球帽をかぶり、肩から大きな旅行鞄をさげ、腕には時計をはめた旅行スタイルで登場した。
 生まれて初めて体験した一人旅について、何枚もの写真を見せ、親子でまとめた旅行日記をもとに発表した。以下、その要約である。

 夏休み前、家族会議で「一人旅をしたい」と言ったとき、両親は本気にしなかった。数日後、予行練習のために富山駅へ行きたいと言ったとき、初めて信じてくれた。何度も家族で話し合って、よう
やく「一人旅への挑戦」が実現した。
 ツヨシは大阪のおじさんに連絡を取って、旅行の準備に取り掛かった。一泊二日のスケジュールを考えた。電車の時刻を調べた。手荷物の用意をした。すべてを自分の力でやった。
  当日の朝早く、親子3人で富山駅へ行った。ホームに停車中の電車に両親も一緒に乗った。ツヨシは窓際の座席に座った。
  発車の時刻が近づくと父親が「お金を落とすなよ」と声をかけ、母親は「気を付けて行かれ」と言ってから電車を降りた。窓越しに見るツヨシは心細そうだった。鞄を膝に抱え、じっとしていた。
  このとき、ツヨシは「この電車が脱線したらどうしよう」と考えていた。すると、急におなかが痛くなったのだった。
  発車のベルが鳴って、電車が動き出した。母親は「行っておいで…」と言っただけで胸が熱くなった。小さくなっていく電車の後姿を見つめながら両親は手を振った。
  ツヨシは高岡駅を過ぎたころから目が重くなり、いつの間にか眠っていた。目が覚めると金沢駅だった。どっと乗客が増えた。
 マンガの本を読んでいるうちに福井駅に着いた。多くの乗客が乗ってきて、家族連れがツヨシと相席になった。
 隣のおじさんから「ぼく、どこから来た?」と話しかけられた。「富山から来ました」と答えるとびっくりしていた。乗車券を調べに来た車掌さんからも同じことを聞かれ、「ぼく一人で来たんだ。偉いぜ!」とほめられた。
 隣のおじさんはとても親切だった。ゆで卵を鞄から出して、「ぼく、これ食べる?」と言われた。「結構です」と遠慮すると、「ほしくなったら、いつでも『ちょうだい』と言ってね」と言われた。
 ツヨシを見送った後、自宅に戻った両親は「無事に大阪まで行けるだろうか」「迷子にならないか」「おじさんに上手く会えるだろうか」と心配で何も手に付かなかった。「どうして一人旅を許してしまったのか」と後悔していた。
 ツヨシが大阪に着くころになると電話のベルが気にかかり、待ち切れなくなった。到着時刻が過ぎても電話がかかってこなかった。両親は不安で胸が張り裂けるようだった。嫌なことを考え始めた。
 ツヨシの乗った電車は予定通り大阪駅に到着した。隣のおじさんが「気を付けて行かれ」と優しく声をかけてくださった。ツヨシはお辞儀をしながら「ありがとうございました」と言った。
 電車から降りると、すぐに大阪のおじさんが見つかった。ほっとして「おじちゃん」と声をかけた。おじさんが「ツヨシ、よく一人で来られたな!」と言って、握手をしてくれた。
 おじさんの家に着くと、おばさんといとこが「ツヨシちゃん、いらっしゃい!」「待っていたよ!」と笑顔で迎えてくれた。
 しばらくして、「大阪に着いたらすぐに連絡してね」と母親から言われていたのを思い出した。
 午前11時過ぎ、ようやく自宅に電話連絡があった。
 両親はツヨシの元気な声を聞いて、やっと安心した。

 

挿絵:金子浩子

ツヨシは発表の最後を次のような言葉で締めくくった。

「大阪へは家族で何回も行ったことがありました。だけど、一人で行ったのは初めてでした。いつもは、お母さんに何でも全部やってもらっていました。今度は自分でやらなければならなかったので大変でした。でも、全部自分でやれたので少し自信がつきました。電車の中で知らない人に何か言われたりしないか心配だったけど、隣の席の人や車掌さんがとても優しくて親切だったのでよかったです。お父さんも、お母さんも、大阪の叔父さんも、ぼくのことをいつもこんなに心配してくれていることがよく分かりました。大阪一人旅が成功したので、来年も一人旅をしようと思っています」

 ツヨシの発表に真剣に耳を傾けていたクラスメイトや保護者の方々から温かい拍手が起きた。ツヨシは満面の笑顔だった。

『夏休み生活体験発表会』の翌日、ツヨシが私のもとに連絡帳を持ってきた。そこにはツヨシの母親の次のような一文が書かれていた。

 8月15日の夕方5時に富山駅に着きました。とても元気よく、鞄を膨らませて「ただ今!」と出札口を出てきました。 子どもを見るなり、一人で目的を果たした満足感が身体全体に滲み出ているようでした。
  私はこれを足掛かりとして、強く、たくましく成長してくれることを願いました。 来年も「一人旅がしたい」と言えば、喜んで送り出したいと思っています。

 

◆寺西 康雄(てらにし・やすお)◆

 富山県内の小・中学校と教育機関に38年間勤務し、カウンセリング指導員、富山県総合教育センター教育相談部長、小学校長等を歴任。定年退職後、富山大学人間発達科学部附属人間発達科学研究実践総合センターに客員教授として10年間勤務し、内地留学生(小・中・高校教員)のカウンセリング研修を担当。併行して、8年間、小・中学校のスクールカウンセラーを務める。

 現在は富山大人間発達科学研究実践総合センター研究協力員。趣味・特技はけん玉(日本けん玉協会富山支部長、けん玉道3段、指導員ライセンスを所持)。