私が小学4年生を担任していたときのことだった。2学期も、そろそろ終わろうという時期に一人の男の子が転入してきた。ノリオである。

 ノリオは幼いころから過酷な家庭環境のもとで育てられてきた。両親は離婚。父親は金銭トラブルを起こし、ノリオを道連れに全国各地を転々としていた。1~2か月ごとに転校を繰り返すノリオは、どの学校でも出席状況が極端に悪く、基礎学力が全く身に付いていない。衣服や食事も満足に与えられず、顔は青白く、やせ細っていた。

 そのノリオが、ある日、けん玉を持って学校にやってきた。クラスメイトのリクエストに応えて、いろんな技を次々とやってみせた。とてもうまかった。

 けん玉歴ゼロの私は見よう見まねでやってみた。何度やってみても玉が皿に乗らない。ノリオは、けん玉の持ち方や構え方、膝の使い方などを懇切丁寧に教えてくれた。そのとおりにやってみると出来た。「やった!」と小躍りする私。子どもたちが「先生、すごい!」と言って拍手をしてくれた。

 それから、ノリオはけん玉を片手に登校するようになった。休み時間、多くのクラスメイトに取り囲まれながらけん玉を披露し、得意顔だった。

 けん玉ブーム

 冬休みが近づいてきた。私は「冬休み中、何か一つ夢中になって取り組もう」と呼びかけた。子どもたちは口々に「めあて」を発表。ノリオは「けん玉チャンピオンを目指して、けん玉の難しい技を一生懸命に練習する」と宣言した。

 冬休みが終わると、ノリオは宣言どおり、猛練習を重ねてマスターした難易度の高い技(「飛行機」「ふりけん」「日本一周」「世界一周」「灯台」)を見事に成功させ、一躍「学級のスター」になった。ノリオに触発され、いつの間にかクラスの子どもたち全員がマイけん玉を学校に持ってくるようになった。休み時間になると、教室全体がけん玉の快い響きと子どもたちの歓声に包まれた。私も子どもたちと一緒にけん玉に興じた。けん玉ブームは家庭にも広まり、次のような便りが保護者から届くようになった。

  3学期に入り、“けん玉”登場。我が家の飾り物になっていた“けん玉”もやっと活躍できるというもの。毎日   毎日、けん玉に挑戦。よく飽きもせず同じことの繰り返し。姉も「ちょっとやらせて」と参加。家族みんなでやりました。

今日は「日本一周」なるものに挑戦。繰り返し繰り返し、いらいらしたり、はらはらしたり。偶然に1回できました。大喜びしながら繰り返します。2回、3回と続きました。やっと満足したのか、けん玉本日終了。

何にでも好奇心を働かせて、一生懸命な姿は見ていてもいいものです。

生まれて初めての100点

 けん玉にも級位・段位がある。私は日本けん玉協会の「けん玉道級位認定表」をもとに「4年1組けん玉道級位認定会」を実施した。ノリオは「けん玉道1級」にただ一人合格し、念願の「けん玉チャンピオン」になった。

 けん玉で自信がもてるようになったノリオは、学校が大好きになった。友達がたくさんできた。そして、毎日、生き生きと登校するようになった。学習への意欲が高まり、授業でも積極的に発言するようになった。

 ノリオは漢字の読み書きが苦手だった。毎日実施している「漢字10問テスト」でも大苦戦していた。そんなノリオが私に「ぼくは、これまで1回も100点を取ったことがない。だから漢字テストで100点を取りたい」と言ってきた。そして、放課後、自ら進んで居残り勉強を始めた。私は、毎日、ノリオの漢字練習に付き合った。その姿に刺激を受けたクラスメイトが何人も居残り勉強に加わるようになった。

 回を重ねるごとにノリオは漢字が書けるようになり、テストで○の数が増えていった。そして、ある日、「生まれて初めての100点」を取ることができた。ノリオは私のもとにやってきて「ヤスモト先生(転入前の担任)に100点の漢字プリントを見せてあげたい」と言った。その日の放課後、ノリオは前担任宛に手紙を書いた。たどたどしい文章ながらも一生懸命に書き綴った。以下は、その抜粋である。

 先生、お元気ですか。
 ぼくは元気です。
 いま、ぼくのクラスでけん玉がはやっています。
 いまのところ、ぼくとケンタという人がうまいです。
 ケンタくんはぼくの友だちです。
 いがいとやさしいです。
 いつもいっしょにけん玉のれん習をしています。
 かん字のれん習もいっしょにしています。
 ぼくはかん字のべんきょうがすきになりました。
 きょう、かん字テストで生まれてはじめて100点をとりました。
 クラスのみんながはく手をしてくれました。
 100点のテストをおくるので見てください。(中略)
 いつか先生にあったらけん玉を見せてあげたいとおもいます。
 ケンタくんといっしょうけんめいにれん習してうんとうまくなります。
 まっていてください。

【次回】 けん玉で元気を取り戻したノリオ(その2)

 

◆寺西 康雄(てらにし・やすお)◆

 富山県内の小・中学校と教育機関に38年間勤務し、カウンセリング指導員、富山県総合教育センター教育相談部長、小学校長等を歴任。定年退職後、富山大学人間発達科学部附属人間発達科学研究実践総合センターに客員教授として10年間勤務し、内地留学生(小・中・高校教員)のカウンセリング研修を担当。併行して、8年間、小・中学校のスクールカウンセラーを務める。

 現在は富山大人間発達科学研究実践総合センター研究協力員。趣味・特技はけん玉(日本けん玉協会富山支部長、けん玉道3段、指導員ライセンスを所持)。