西川典孝さんのアナウンサー人生の出発点は富山だった。NHK100年の歴史の中で育まれたアナウンス技術を学び、鍛えられたと自認している。そこで得た経験を確かな財産として受け止めている。しかし、放送の在り方が変わる中、組織の論理と個人のキャリアは必ずしも重ならなかった。新しい舞台を選んだ背景には、メディア環境の変化と未来への期待があった。  

誤読して怒られる

─今日はよろしくお願いします。 

 よろしくお願いします。僕、実は北日本新聞の1面に出たことがあるんですよ。 

 

─え、知らないです。何かいいことを?それとも…。 

 いや、犯罪とかではないんですが(笑)。1面のコラムがあるじゃないですか。 

ー「天地人」ですね。 

 それです。僕はNHKに入って最初の年にラジオニュースで「春闘」を「ハルトウ」と誤読してしまいました。そのことが書かれていた。名前も局の名前も出ていませんが、関係者なら誰のことだか分かる。今でも記事の出だしを覚えていますよ。「『ハルトウ』っていったい何だろう」。その朝刊が出た日に出勤したら、局内が騒然として、たくさん怒られました。

富山放送局時代の西川さん

 当時の僕はアナウンサーになれたことだけに満足していたんでしょうね。でも、今では書いてくださった方に感謝しています。姿勢が変わりました。仕事は、謙虚に入念に準備して取り組まないといけないんだなって再認識できました。それは今の自分にもつながっています。 

東京は満期です

─なんだかご迷惑をおかけしたみたいで申し訳ないです。しかし、そうやって真摯な姿勢で仕事をしていたわけでしょう。なぜ辞めたのですか? 

 きっかけは転勤でしたね。長野から東京にスポーツ担当のアナウンサーとして来て3年経つころに「満期です。どこに行くかわからないけど転勤です」と告げられました。異動という仕組みが必要なのは組織の一員として理解はしていたのですが、まだまだ東京でやりたい取材もたくさんあったタイミングでした。これは難しい言い方になりますが、男性は地方勤務の期間が長くなる傾向があったと思います。

富山放送局を離れた後も、たびたび富山を訪れていた。富山マラソンに出場したことも

アナウンサー自体…

-一般的にテレビのMCって「若い女性と、おじさん」という組み合わせが多いですよね。最近は変わってきている部分はあるかもしれませんが、逆はまだまだ少ない。どうしても、作り手側も視聴者もそのフォーマットに慣れきっていますからね。若い男性アナウンサーである西川さんの異動にも影響したのではないですか。 

 それは分かりません。いずれにせよ、これからのキャリアに疑問を感じて転職を意識し出しました。正直、アナウンサーをやめることも選択肢でした。そんなタイミングでYouTubeなどで注目されているビジネス映像メディア「PIVOT」からMCのオファーが来たんです。「アナウンサー辞めようと思ってたのに、アナウンサーで必要としてくれる場所があるんだ」とうれしくなりました。 

 

─PIVOTは同じくNHK出身の田中泉さんもMCをやっていますね。最近アナウンサーのネットメディアへの進出は多いんでしょうか。 

 転身先はさまざまです。僕が把握しているだけでも、今年は6人もNHKのアナウンサーが辞めました。異例だと思います。それぞれフリーアナウンサーになったり、YouTubeチャンネル立ち上げたり、政治家になったり。濃淡はあるにせよ、自分自身の将来や組織に対する考え方がそれぞれあったのだと思います。  

─NHKは2023年に受信料を値下げしました。報道によると、24年度の受信料収入は前年度比426億円減の5901億円で、過去最大の減額幅を更新しました。

 10%値下げをしていますね。これがコンテンツに影響しないわけはないと現場は受け止めていました。まずNHKは報道が根幹です。

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