誤読して怒られる
─今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。僕、実は北日本新聞の1面に出たことがあるんですよ。

─え、知らないです。何かいいことを?それとも…。
いや、犯罪とかではないんですが(笑)。1面のコラムがあるじゃないですか。
ー「天地人」ですね。
それです。僕はNHKに入って最初の年にラジオニュースで「春闘」を「ハルトウ」と誤読してしまいました。そのことが書かれていた。名前も局の名前も出ていませんが、関係者なら誰のことだか分かる。今でも記事の出だしを覚えていますよ。「『ハルトウ』っていったい何だろう」。その朝刊が出た日に出勤したら、局内が騒然として、たくさん怒られました。

当時の僕はアナウンサーになれたことだけに満足していたんでしょうね。でも、今では書いてくださった方に感謝しています。姿勢が変わりました。仕事は、謙虚に入念に準備して取り組まないといけないんだなって再認識できました。それは今の自分にもつながっています。
東京は満期です
─なんだかご迷惑をおかけしたみたいで申し訳ないです。しかし、そうやって真摯な姿勢で仕事をしていたわけでしょう。なぜ辞めたのですか?
きっかけは転勤でしたね。長野から東京にスポーツ担当のアナウンサーとして来て3年経つころに「満期です。どこに行くかわからないけど転勤です」と告げられました。異動という仕組みが必要なのは組織の一員として理解はしていたのですが、まだまだ東京でやりたい取材もたくさんあったタイミングでした。これは難しい言い方になりますが、男性は地方勤務の期間が長くなる傾向があったと思います。

アナウンサー自体…
-一般的にテレビのMCって「若い女性と、おじさん」という組み合わせが多いですよね。最近は変わってきている部分はあるかもしれませんが、逆はまだまだ少ない。どうしても、作り手側も視聴者もそのフォーマットに慣れきっていますからね。若い男性アナウンサーである西川さんの異動にも影響したのではないですか。
それは分かりません。いずれにせよ、これからのキャリアに疑問を感じて転職を意識し出しました。正直、アナウンサーをやめることも選択肢でした。そんなタイミングでYouTubeなどで注目されているビジネス映像メディア「PIVOT」からMCのオファーが来たんです。「アナウンサー辞めようと思ってたのに、アナウンサーで必要としてくれる場所があるんだ」とうれしくなりました。

─PIVOTは同じくNHK出身の田中泉さんもMCをやっていますね。最近アナウンサーのネットメディアへの進出は多いんでしょうか。
転身先はさまざまです。僕が把握しているだけでも、今年は6人もNHKのアナウンサーが辞めました。異例だと思います。それぞれフリーアナウンサーになったり、YouTubeチャンネル立ち上げたり、政治家になったり。濃淡はあるにせよ、自分自身の将来や組織に対する考え方がそれぞれあったのだと思います。
─NHKは2023年に受信料を値下げしました。報道によると、24年度の受信料収入は前年度比426億円減の5901億円で、過去最大の減額幅を更新しました。
10%値下げをしていますね。これがコンテンツに影響しないわけはないと現場は受け止めていました。まずNHKは報道が根幹です。災害や選挙など国民の命や生活にかかわるような事業に必要なお金は削れない。 私はスポーツ畑中心なので、その現場のことしか分かりませんが、以前は放送していたけど、今は放送していないスポーツコンテンツがあります。サッカーのワールドカップは前大会は全試合放送していませんし、テニスやアルペンスキーなどの国際大会も減っています。
箱根駅伝の実況
─そもそもアナウンサーになろうと思ったのはなぜですか。
小学生の時にフジテレビの「めざましテレビ」を見て、アナウンサーってなんか楽しそうだなって思ったのが最初です。でも本格的に目指したのは高校3年生のころ。陸上部を途中で辞めちゃったんですよ。挫折です。インターハイ2連覇してるような強豪校だったけど、僕はけがもあったし、頑張りきれずに逃げちゃいました。

悶々としながら箱根駅伝を見ていたら、僕と同じように怪我をして高校時代に活躍できなかった先輩が走って結果を残していました。その時の実況アナウンサーが先輩の名前を叫びながら、走る姿を描写しているんですよ。それを見て感動しました。「こういう仕事もあるんだな。スポーツの実況、いいな」って思いました。
就職活動がうまくいって商社の内定ももらっていたので気持ちは揺れていましたが、友達に「あれだけアナウンサーになりたいって言っていたのに、お金で変えちゃうの?」と言われて、結局NHKを選びました。
─富山に赴任された時はどうでしたか。
初めての一人暮らしが富山だったんです。あの時は北陸新幹線もまだ通ってない時代です。富山空港の外に出たら高い建物が一つもなくて、不安になりました。あの時はまだ少なかったスタバにいる時だけが東京を感じられました(笑)。
Facebookを見ると、みんなが「今日は金曜日だ」とかいって楽しそうな写真を上げてるのを見て泣きたくなりました。特に冬場がきつくて、鬱屈としました。富山ってご飯がおいしいじゃないですか。僕はお酒が飲めないから食べてばっかりで、気づけば12キロ太っていた。
─そこからどう立ち直ったんですか。
3年目くらいからですかね。北陸新幹線が開業したタイミングで、大学時代にやっていたストリートダンスのOB会に誘われたんですよ。東京と簡単に往復できるようになった。月〜金は富山でニュース、土日は東京でダンス。そうやってダンスで自分を解放しました。