同時多発テロで知った報道の重み

ーそもそもアナウンサーになりたいと思ったのはいつ頃からですか?
なろうって決めたのは大学3年生の4月ごろです。少し前なら女性アナウンサーというと、大学のミスコン優勝者というイメージがあったかもしれませんが、私は出場もしていません。だからアナウンサーを目指すということを決めることが、まず私にとって大変な決断でした。
志望理由はいろいろあるんですけど、まず海外生活で報道の大事さを感じたのが大きかったですね。中学校時代にニューヨークに住んでいて、その当時にNY同時多発テロがあったんです。父のオフィスはマンハッタンにあり、本当にすぐそばで大事件が起こったんです。世界的なニュースになる事件が自分の周りで起こるということを初めて自覚しました。テレビの速報を見た日本の親戚からすぐに電話があって、ニュースってすごく大事なんだなということをまず感じました。
世界の広さを感じたことも大きいです。日本では学校の制服のスカートだったけど、アメリカはジーンズです。みんな何を着ていても自由だし、いろんな人がいる。世界が広がった感覚がすごく心地よかった。だから、自分はもっと視野を広く持って、世界をもっと知っていきたいってすごく思ったんです。
アナウンサーになっていろんなものを見たい、いろんな人に話を聞きたい。それが一番のきっかけです。 プラス、恥ずかしいことも言うと、私は人とうまく心を通わせて話せる人に憧れを持っていた。アナウンサーを仕事にしてしまえば、仕事を通じて克服できるんじゃないかという思いもありました。
富山はプラマイゼロ
—振り出しが富山放送局でしたね。
人事に希望を聞かれた時には「寒いところは苦手」だって言っていたんですよ。でも、「冬は寒いけど富山の夏は暑い。プラマイゼロだから」って言われて配属されました(笑)。

富山は社会人スタートの土地なので、全てが印象に残っています。皆さんが思っているアナウンサーのイメージと違うかもしれませんが、私たちも富山県内で放送されるニュース番組で、毎月1、2本企画を出さないといけなかったんですよ。中継だったり、インタビューだったり。だいたい4、5分ほどの企画を作るんですけど、そのために北日本新聞も読み込んだし、富山県内のあちこちに足を運んだりしました。取材させていただいた方のことはよく覚えているし、今も交流が続いている人もいます。
—富山で愛されていましたよね。病院の待合室だったかな。新人当時の田中さんがニュースを読む場面が流れていたのですが、発語が難しそうなカタカナの言葉を読み上げるときは固唾を飲んで見守っている人がいました。無事に原稿を読み終えると小さく拍手していました。
ありがたいですね(笑)。新人だからあぶなっかしかったんでしょうね。富山の方々には本当によくしていただきました。お米を届けていただいたりとか、スーパーで「いつも見ていますから」と声をかけていただいたりとか。富山には足を向けて寝られないです。
今晩どこにいるかも
—富山の後は大阪、東京と異動されました。大都市の拠点局を異動していくというキャリアはNHK内でも期待されていた表れなんじゃないですか。
大阪が第2の都市であることは間違いないですけど、どうなんでしょうか。拠点局を経ないで東京に行く人もいます。たとえば今「クロ現」を担当している同期の桑子真帆は広島から東京です。局内でどう評価されているかっていうのはいろいろな見方が可能だと思いますが、やりたいことができるかどうかの方が大事ですから。

—とは言っても、東京では「ニュースウオッチ9」のリポーターと、「クローズアップ現代プラス」のキャスター。看板番組での抜擢ですよ。
「ニュースウオッチ9」のリポーターは毎日緊張感と責任感を持っていました。記者の皆さんは日々、いろんな現場で取材して専門性を培っているわけです。そこに私たちは大きな出来事があると飛び込んでいく。記者の皆さんの聖域を横断しながらリポートすることになります。これはものすごいプレッシャーとやりがいがありましたね。NHKは番組がたくさんあると言っても、アナウンサーが現場に行けるものは多くありません。「いろいろなものを見たい」という思いがあったのでその意味では本当によかったです。
—忙しかったんじゃないですか。
「ニュースウオッチ」の2年間が、私のNHK人生の中で一番鍛えられた時期だと思っています。まず朝起きた時に自分が夜どこにいるか分からないんですよ。例えば16時に神戸で大きな事故が起きたとして、私が現場に到着するのが20時48分、それから21時5分から中継するということもあります。20時にノーベル賞の発表があったら、そこから受賞者の自宅に行く。到着した瞬間からその奥様にインタビューするということもあります。災害があれば現地に行くのは当たり前だし、台風が来たら逃げるんじゃなくて追いかけていきます。常に自分が試されているような瞬間の連続です。