「僕、3回転職しているんですよね」。そう屈託なく話すのは、大石和(おおいし・やまと)さん。富山市八尾地域出身の32歳で、現在は舟橋村に拠点を置いています。過去3回のキャリアチェンジを経て、今は舟橋のPR会社に勤めている大石さんは、自らのことを「主役が嫌な主人公」と話します。射水市の古民家に集まる人たちの地域活性化への思いを伝える「古民家ワクワク」。10回目となる本記事では、そんな大石さんのキャリアに迫ります。

#1 就活で「しくじり」
ーまずは大石さんの学生時代について聞かせてください。
生まれてから大学時代までを富山で過ごしました。特に「夢」を持たない学生で、映画ばかり観ていました。「映画を観る側じゃなくて、映画になるような人生を歩まないと」と、明確な夢がある主人公にならなければと思っていました。
そんな危機感から、大学時代はさまざまなアルバイトに挑戦したり、地元の農産物直売所の一画を間借りしてスムージー販売を試みたりと、模索する日々でした。大学に通っても明確にやりたいことが見えませんでしたが、行動力には自信があったので、就活では100社以上にエントリーしました。

本命は映像業界やメディア大手だったものの惜しくも内定には至らず、県内の銀行に就職しました。進路を決めた理由は、一度内定を断ったのち、再度先方から連絡があったから。「今後はQOL(生活の質)に振り切って、土日万歳で割り切ろう!」と心に決めました。
入社後には銀行の窓口業務が自分の前に立ちはだかりました。機械操作などの責任やプレッシャーがつきまとい、ミスが続きました。また、厳格なルールや文化の中で、自己の意思が見えなくなり、忖度(そんたく)や事なかれ主義に向かってしまう自分がいることに気が付きました。そこでふと、「何かを変えないとまずい」と思ったのです。お世話になった人に「一度別の環境を試してみると良い」と言われたこともあり、「このままではダメだ」と、言われた通り全く逆の環境へ飛び込むことに決めました。一念発起して入社したのがリクルートです。
#2 リクルートで変わった3つのこと
ー地方銀行からリクルートへ、環境の変化はいかがでしたか?
リクルートは、言うなれば「ビジネススキルの学校」でした。「契約で3年半」という時間的なゴールが決まっているからこそ、全力で「今」に集中することができたと感じています。

転職して感じたのは、風通しの良さです。当時所属していた石川のオフィスは、平均29歳という若さで、トップマネージャーも37歳。また、決められたルールが基準ではなく、「自分ルール」がそれぞれにあるのも良かったです。もちろん忖度はなく、「正しいと思ったら誰であろうと伝える」という文化が浸透していました。「圧倒的当事者意識」が求められるのも、学びの場としてとてもいい環境でした。一人の成功をみんなで喜び合えるのも嬉しかったです。
1人で50店舗を担当しながら毎日飛び込み30件などと、なかなかえぐい数字でめちゃくちゃ大変でしたが、「大石くんのおかげ陰で売上が上がったよ!ありがとう!」と言われるなど、やりがいがありました。
中でも、直接経営者の話を聞く権利が得られることに価値を感じていて、飛び込み営業が自分の人生探索となっていましたね。「楽しいわあ」と心から思い、”根ガティブ”マインドから、”歩ジティブ”マインドに変わったことが大きな変化でした。地道に頑張った結果、個人として敢闘賞をいただくことができ、同じタイミングでチームの成績も評価され、全国最下位だったグループが、2位まで駆け上がりました。ただ、リクルートを辞めるときに思ったのは、「整いすぎている」という危機感でした。

誰もが見やすい顧客リストがある、全国の成功事例がすぐ手に入る、誰もが知っているブランドを売っていることなど、「目に見えない甘え」のようなものを感じていました。
まだ起業や独立を考えていたわけではなかったものの、どこかで泥臭い経験が必要だと。このままだと「0⇒1に苦労するだろうな」と。やりたいことがないからこそ、自分に選択肢を残さないといけない、と思い、「すいすい」進む環境から足を洗いました。
そこで、次に足を踏みこんだのが青果市場でした。
#3 野菜との出会い
ーなぜ急に青果市場に飛び込んだのでしょうか?
