咳が止まらず、ついに血を吐いた。「もうだめか」。岩壁のくぼみに腰を下ろしていた佐伯成司(まさし)=当時35=は心の中でつぶやいた。のどの粘膜が傷ついたらしい。キャンプ3(標高7400メートル)を共に出発した谷口守、稲葉英樹からは大きく引き離された。稜線を見上げても2人の姿はほとんど見えない。

1994年頃の佐伯
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1994年8月12日。前日までの荒天から一転、風もなく、澄み切った空が広がる。谷口を登攀(とうはん)隊長に、佐伯、稲葉の県山岳連盟アタック隊は、ガッシャーブルムI峰(標高8068メートル)の頂を目指し、午前5時にテントを離れた。気温マイナス20度。氷壁が朝日を浴びて赤く染まっていく。
県山岳連盟の3回目となる8千メートル峰への挑戦として選んだのが、ガッシャーブルムI峰だった。中国新疆ウイグル自治区とパキスタンの国境にあるガッシャーブルム山塊の最高峰で、氷河の最奧にあり、「ヒドゥン・ピーク(隠れた峰)」との別名を持つ。

県山岳連盟のガッシャーブルム遠征隊
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