昔、こんな短歌を作ったことがある。

夜更かしの人がどこかにいることが救いだという夜更かしの人

 「夜更かしの人」とは自分のことである。昔からひどい夜型で、どうしても治らないのだ。その話をすると、「若い頃は自分もそうだったけど、年を取ったら自然に朝型になったよ」とよく云われるけど、私はいっこうにその気配がない。時計の針が真夜中を過ぎても、ぜんぜん眠くならないのだ。一人で夜中に起きていると、とても自由で楽しい。でも、ふとさみしくなることがある。夜の楽しさを分かち合うような仲間が欲しくなる。

 「昼は夢、夜ぞうつつ」と色紙に書いていたのは探偵小説家の江戸川乱歩である。「昼の光の下に見えているすべては本当の姿ではない、夜にこそ世界はその真実の姿を現す」というほどの意味だろうか。その言葉の通り、彼の作品には闇の気配が濃厚。夜更かし人間にとっては心強い夜の魔王だ。でも、残念ながら、乱歩先生は私が生まれた数年後に亡くなっている。夜の仲間になってはもらえない。

 実家にいた頃は、九階の自室の窓から、明かりのついた窓を探していた。あ、あそこにまだ起きている人がいる、あそこにも、あそこにも、と数えてはほっとする。自分だけじゃないんだ。みんな夜更かしだなあ。いったい何をしてるんだろう。でも、夜が深まるにつれて、その明かりも一つまた一つと消えてゆく。最後には私ひとりが取り残されてしまった。

 そんな或る日、いつものように窓から見える明かりがすべて消えてしまった後のこと。あまりにもさみしくて、家の前の国道にふらふらと出ていった。目の前をびゅんびゅん走り抜けるトラックのライトたちを見て、起きているのが自分だけではないことを確認する。でも、駄目だ。彼等はただ起きているだけではない。今、まさに働いているのである。ふわふわと漂いながら夜の空気を吸っている私とは何かが違っている。

 

  あれは一昨年だったか、真夜中のコンビニエンスストアに行く途中で、たくさんの猫たちが円形に集まっているのを見た。え、嘘、もしかして、これは噂に聞く猫の集会では、と興奮した。茶トラ、キジトラ、三毛、黒、白、ハチワレ……、月明かりの下で、さまざまな模様がつやつやと光っている。どきどきしながら、そーっと近づいたけど、一匹また一匹と姿を消してしまった。おんなじ夜型なのに、人間の私は仲間に入れて貰えない。コンビニで猫のフードを買って、念のために帰りに同じ場所を探してみたけど、もう誰もいなかった。

 だが、夜の仲間を探し求める日々もとうとう終わる時が来た。先月、家に仔猫がやってきたのである。アメリカンショートヘアの男の子だ。この文章を書いている今は真夜中。でも、部屋の中には自分以外の生き物の気配がある。仔猫のくせに夜でも目をぴかぴか光らせて活発だ。ケージから出してあげると、キーボードの上に飛び乗って仕事の邪魔をされる。降ろしても降ろしても乗ってくる。でも、嬉しい。初めて夜の仲間ができたのだ。

 もうさみしくない。この子が成長して猫の集会に参加することがあったら、友だちとして一緒に連れて行ってくれないかな。ちなみに名前は「ひるね」ちゃんである。だから夜に強いのかなあ。

歌人。1962年、札幌市生まれ。1990年に歌集『シンジケート』でデビュー。『短歌の友人』で伊藤整文学賞、『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。歌集、エッセイ集以外にも、詩集、対談集、評論集、絵本、翻訳など著書多数。