事実を認める
いじめの現場を目撃した私は、学級懇談会で保護者から耳にしたことを子どもたちに伝えた。その上で、いじめの実態調査を一からやり直すことにした。
しかし、3年生のときから「いじめ」におびえ、他人を信じることのできない学校生活を送ってきた4年2組の子どもたちである。深く傷ついた心の内を4月から交代したばかりの担任に対し、すんなりと自己開示できるはずもないのである。
私は込み上げてくるものを抑えながら子どもたちに語り掛けた。
「私は絶対いじめを許さない。いじめのないクラスにしたい。誰もが安心して過ごせるクラスにしたい。そのために全力を尽くしたい」
「いじめられたことがある人は、どんな小さなことでもよいから書いてほしい」
「仕返しを恐れるな。仕返しは許さない。私を信じ、勇気を出して書いてほしい」
「いじめたことがある人は、どんな小さなことでもよいから書いてほしい」
「失敗は誰にでもある。同じ失敗を繰り返さないことが大事なのだ。自分の失敗を正直に書いてほしい。
そして、同じ失敗を繰り返さないと約束してほしい」
子どもたちの中に、かすかな変化が見られた。意を決したように一人、二人…と書き始める。
やがて教室中に鉛筆の音が広がっていく。その様子を静かに見守った。
いつまで経ってもケンジとツヨシの手は動かなかった。
私はケンジを廊下に連れ出した。「誰かにやられたのだろう」と何度尋ねても首を横に振り、自損行為であると主張するケンジに学級懇談会で保護者から聞いたことを伝えた。途端に顔色が変わり、口元を震わせ、おびえた様子であたりをうかがった。
そして、ようやく事実を認めた。私は「絶対に先生が君を守るから正直に書いて…」と促した。
ケンジと一緒に教室に戻った私は、ツヨシの肩越しにそっと作文用紙をのぞいた。そこには、一行だけ「ぼくがやった」と書かれていた。
放課後、子どもたちの作文に目を通した。学級懇談会での話のほとんどが事実だった。この1年余り、ツヨシが脅しと暴力でクラス全体を意のままに操ってきた実態が浮き彫りになった。以下、その一例である。

担任が出張で自学自習をしているときの出来事である。
ツヨシがクラスの全員に向かって「しゃべるな。しゃべったらビンタするぞ。百叩きだぞ!」と命令する。従わなかったら「しゃべったな。ちょっと来い。顔を貸せ!」と呼び付けて殴る。クラス中が静まり返ると「息をするな。息をしたら叩くぞ!」と言って一人ずつ調べて回る。
全員が息を止め、顔を真っ赤にして耐える。我慢しきれなくなって息をした者を見つけ、呼び出しては殴る。逆に「しゃべれ!」と命令し、従わない者を殴る。
やがて、クラスの男子全員がツヨシに服従し、いじめに加担する。その結果、男子による女子へのいじめが日常茶飯事となっていく。
転校してきたばかりのケイコに対して、連日、ツヨシが「デブ、あっちへ行け。お前なんか学校に来るな!」「なんでお前なんか、この教室に来たのだ!」などと難癖をつけた。
次第にエスカレートし、ツヨシにけしかけられた男子全員がケイコを取り囲み、口々に悪態をついた。
その数日後、ツヨシが女子全員に対して「俺たちのことを先生に告げ口したやつは出てこい!」と叫び、女子一人一人に聞いて回った。強く否定する女子。ケイコに向かって「お前、嘘をついているだろう。本当は告げ口したのだろう。正直に言わなかったらぶん泣かすぞ!」と威嚇した。
ケイコが当時を振り返って書いた作文である。
のびのびできるのは日曜日だけでした。休みの日が一番好きでした。ツヨシくんを殺そうと思いました。私が死んでツヨシくんをのろってやろうと思いました。
いじめの対象になったのは女子だけではない。男子の中でも、おとなしい子や体力のない子なども、いじめのターゲットになった。
ヨシオはツヨシから女子とのキスを強要され、男子全員から「女とキスした」とはやし立てられ、「不潔なやつ」と相手にされなくなった。
アキラはツヨシにプロレスの技を仕掛けられ、「気持ちが悪くなり、目が紫色に変わった。このようなことを何回もされて学校へ行きたくない日があった」と作文に書いた。
ここまでひどいとは夢にも思わなかった。こんな実態を知らずに過ごしてきた約2か月間は一体何だったのか。改めて自らの非力を思い知らされた。それとともに強い憤りと、早く何とかしなければとの焦りを覚えた。
その翌日は終日の出張である。教室を空ける訳にはいかない。同僚教師に事情を伝え、交代で教室に張り付いてもらうことにした。
それにもかかわらず、当日、トラブルが発生したのだった。出張から戻った私は同僚教師から「掃除の時間、ツヨシをはじめとする男子が集団でエスケープした」という報告を受けた。
正直、ショックだった。しかし、「ピンチはチャンス」なのである。
この一件で私の腹は決まった。
◆寺西 康雄(てらにし・やすお)◆

富山県内の小・中学校と教育機関に38年間勤務し、カウンセリング指導員、富山県総合教育センター教育相談部長、小学校長等を歴任。定年退職後、富山大学人間発達科学部附属人間発達科学研究実践総合センターに客員教授として10年間勤務し、内地留学生(小・中・高校教員)のカウンセリング研修を担当。併行して、8年間、小・中学校のスクールカウンセラーを務める。
現在は富山大人間発達科学研究実践総合センター研究協力員。趣味・特技はけん玉(日本けん玉協会富山支部長、けん玉道3段、指導員ライセンスを所持)。
