古代史に「空白の4世紀」がある。
日本に文字で書き残された資料がなく、中国の文献にも登場しない時期だ。
この空白期に邪馬台国(やまたいこく)は消え、ヤマト王権が誕生した。前方後円墳や前方後方墳などが北陸を含め全国で造られていった。
高岡・氷見に海上交易の王
海岸の見える高台にある、大きな古墳を訪ねた。
一つは全長60メートル超の高岡市の桜谷古墳。昔の1円札に描かれた古代豪族の祖とされる武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫、大河音足尼(おおかわねのすくね)の墓との説がある。大河音は初代の伊彌頭国造(いみず・くにのみやつこ)として、高岡市と氷見市、射水市、富山市の一部を支配した。国造は古代の地方官をいう。

二上丘陵北側の海岸に近い台地にある桜谷古墳(高岡市教委提供)
もう一つはさらに大きく全長100メートル超で、1998年の発見時に大きなニュースとなった氷見市の柳田布尾山(やないだぬのおやま)古墳。古墳館スタッフの説明によると、埋葬された人物は不明という。
いずれも海上交易で力を握った王がいたことを示す。
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