ヤマト王権の誕生以前、富山には「婦負王国」とも呼ばれる大きなクニがあった。
「倭国大乱」が続き、女子を立てて王とした。名付けて卑弥呼(ひみこ)という―。
中国大陸が魏・呉・蜀に分かれて争った三国時代。弥生時代後期の倭国(日本)の様子を歴史書「魏志倭人伝」がこう伝えた。この時代、倭国独自の文献資料はない。
婦負王国は、大きな勢力を誇った出雲王国と強い結び付きがあった。それを証明するのが、力のある首長が埋葬された墓の形態が同じであることだ。

婦負のクニがあったとされる羽根丘陵の遺跡群一帯=富山市婦中町(富山市埋蔵文化財センター提供)
角が張り出した「四隅突出型」
富山大杉谷キャンパス(旧富山医薬大)は、呉羽丘陵の南西端にある台地だ。キャンパスの周りを東西に弧を描くように11基の墳墓が点在する。
残り1388文字(全文:1737文字)