東日本大震災発生から、来年3月11日で15年たつ。福島県内では、東京電力福島第1原発事故の影響でいまだに帰宅できない被災者が多くいるなど、その惨禍は続いている。被災地支援に当たってきた富山市のボランティア団体「ふっこうのおと」(小林仁代表)が11月下旬に福島県を訪れ、記者も同行した。除染に伴う土壌や廃棄物を保管するための「中間貯蔵施設」や震災遺構などを見て回り、原発事故の恐ろしさを改めて実感した。

 訪れたのは、中間貯蔵施設の他、震災遺構「浪江町立請戸小学校」、双葉町の「東日本大震災震災・原子力災害伝承館」、富岡町の「とみおかアーカイブ・ミュージアム」など。記者はいずれも初訪問だった。

東京ドーム11杯分の除染土

 中でも一番印象深かったのは、大熊町と双葉町にまたがる中間貯蔵施設だ。約1600ヘクタールという広大な敷地に、東京ドーム約11杯分に相当する約1400万立方メートルの除染土が蓄積されている。もちろん帰還困難区域にあり、敷地の約8割は民有地の譲渡や借用によるという。土はまるで方墳のように盛られ、震災の遺跡のようにも感じた。

まるで方墳のようにも見える中間貯蔵施設の除染土の山。施設は大熊町と双葉町にまたがっている=福島県内
中間貯蔵施設について説明する職員(中央)。遠くには、福島第1原発が見える

 福島県内の除染土は、2045年までに県外で最終処分されることが法律で決まっている。その膨大な量を最終処分地まで運搬することを考えると、処分量を少しでも減らすことが実現に向けて重要だ。そこで環境省は、この土壌を再生資源として利活用する技術を開発中で、この施設でも道路に利用するべく実験が行われていた。しかし、元々ほとんどが田畑の土だったため、強度が不足しており、加工技術が必要とのことだった。

 メンバーの1人から「いっそのこと、ここに花を植えて観光名所にしたらどうか」との声が上がったが、土壌の移送は法律で決まっているので変えられないとのことだった。実際に土の上を歩くこともでき、その後は靴の裏の放射能濃度を測定する。

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