死と隣り合わせた47年間
今年もいろんなニュースが飛び交ったが、冤(えん)罪の当事者、袴田巌さんの再審無罪確定(10月)は司法の不備を根幹から浮かび上がらせた大きな出来事だった。袴田さんは1966(昭和41)年の静岡一家4人殺害事件で「自白」後に死刑判決を受け、47年余りの間、拘置所で死と隣り合わせの幽閉を余儀なくされた。時計の針は戻せない。人生を台無しにされた冷酷無残な結果に、惻隠の情というものを超えた筆舌に尽くしがたい感情を抱いた人も少なくないはずだ。
袴田事件から審理の長期化や検察の証拠開示の在り方など再審制度の問題点が浮き彫りとなり、法改正に慎重だった法務省が見直しの検討に入ることも21日の本紙1面で報じられた。

真犯人は一体誰?
1990(平成2)年に栃木県で4歳の女児がパチンコ店で誘拐され、河川敷で遺体となって発見された足利事件も冤罪事件として記憶に新しい。

濡れ衣を着せられた菅家利和さんは、17年半にわたって自由を奪われた。栃木・群馬県境付近では1980~90年代、足利事件以外にも女児の誘拐、殺人事件が相次いでおり、1996年には群馬県のパチンコ店で女児が連れ去られ、いまだ行方不明となっている。女児を狙ってパチンコ店から誘い出す手口が共通しており、これらの事件を同一犯とする推察もある。菅家さんが獄中にいた間に女児が行方不明になったことから「菅家さんとは別に一連の事件の真犯人がいるのでは…」との見方も広がり、足利事件を再検証する機運が一部で高まった経緯がある。


2009年に釈放された菅家さんは、記者会見で柔和な笑みを浮かべながらも「警察官や検察官は絶対許せません。自分の人生を返してもらいたい」と大きな怒りに目を潤ませていた。

史上初 死刑囚への再審
1948(昭和23)年に熊本で一家4人が殺傷された「免田事件」では、死刑が確定した故免田栄さんが、1983年に死刑囚として初めて再審無罪となった。獄中から無実を訴え続け、6度目の再審請求で刑事裁判史上初めて死刑囚への再審という重い扉をこじ開け、当時大きな注目を集めた。

富山でも冤罪事件が
時代を経ても繰り返される冤罪。実は富山でも誤認逮捕された男性が、服役後に再審無罪となった事例がある。無実の罪を着せられた背景には、先記の3事件と共通した警察当局による規範を大きく逸脱した行為があったようだ。