——舘鼻さんは富山にルーツがあり、おじいさんが東京で銭湯を経営されていたそうですね。その富山とお風呂に縁が深い舘鼻さんがこの春、魚津にあるホテルの浴場のアートワークを手掛けた。どのような思いですか。

祖父が舟橋村出身です。僕の父が生まれてすぐの頃に上京しました。そこから知人の銭湯に弟子入りして独立したようです。「歌舞伎湯」という名前で新宿のど真ん中で営業してました。そういう縁もあったので、今回富山でお風呂のお仕事をいただいたのはとてもうれしかった。
自分がお風呂屋さんをやるかどうかは別にして、いつか何らかの形で関わってみたかったんです。だから、今回の仕事は自分のルーツを探るような感慨もあり、特別なものです。

富山という場所は作り手の視点で見ても面白いですよね。工芸やものづくりの拠点はかなり北陸にそろっている。京都や東京とはまた違う伝統文化が残っているし、アンダーグラウンド感がある。京都や東京は完成されちゃっているから、作り手としては富山のような場所での仕事は刺激的ですね。
——舘鼻さんはその銭湯の記憶はあるんですか。
いや、生まれた時にはもうビルに建て替わっていましたね。バブルの頃でしょうね。祖父が亡くなった時、遺品を整理しながら当時の話を父からいろいろと聞きました。
——今回アートワークを手掛けた浴場はどんなものになりましたか。
立山連峰をモチーフにした壁画を描きました。具体的に言うと、山側の浴室は太陽が輝く鮮やかな色彩の図で、海側の方は荒々しい雷雲の図を描いています。うちの銭湯もそうだったのですが、モザイク壁画の手法を取りました。
やはり立山は富山でしか見られないもの。東京だと富士山なんだろうけど、立山の雄大さは一味違う。立山信仰が地域に根差していましたが、昔の人の気持ちはよく分かります。街の景色は変わるけど、立山はずっと変わらずにありますから。
浴場は元々チャペルだったので「どうなるだろう」と当初は半信半疑なところもありましたが、うまくいったと思います。

——色使いがとても鮮やかで斬新ですね。

魚津の蜃気楼じゃないけど、お風呂の湯気で幻想的に見えると思います。タイルの素材的な特性として、湯気が立って湿ってくれた方が映えるんです。クライアントワークではありますけど、