高市早苗総理が日本製バッグを携えて登場したとたん、メーカーには注文が殺到し、いまや半年後の入手待ちと聞きます。国内産業を支援するという総理の政治的メッセージと、日本製を選ぶという行動との一貫性が評価され、総理の快進撃もあいまって、バッグそのものが「日本初の女性総理大臣がもつ鞄(かばん)」という物語を帯びて格上げされました。

バッグを手に官邸に入る高市総理(出典:首相官邸ホームページ)

 ここには、ひとつのモノが社会からの承認を得ることで威信財へと変わるダイナミズムが見てとれます。モノの価値は単体では立ち上がらず、所有者の人物像・行動・時代の期待と結びついたときに跳ね上がります。

 威信財は、「生存には不要だが、社会関係の維持に不可欠な財」と定義されます。古代の銅鏡や宝剣、武家の茶道具から、今日の高級時計やバッグまで形を変えてきました。共通するのは、機能や価格だけでは説明できない社会的物語を帯びていること。この物語が強いほど、人々の憧れや尊敬という感情に訴える価値は高まり、威信が生まれます。

 この「物語の設計」を戦略的に行ったブランドに、ロレックスがあります。ピエール=イヴ・ドンゼ氏の『ロレックスの経営史「ものづくり」から「ゆめづくり」へ』に詳しく示されますが、ロレックスが飛躍的な成功を収めることができたのは、時計の技術や機能を説明することをやめたからでした。代わりに、対象顧客にとっての憧れのヒーロー像と結びつけることで、時計を「成功の象徴」へと押し上げたのです。

 1960年代、ロレックスがヒーロー像として広告に掲げたのは、スポーツ選手、F1ドライバー、冒険家といった挑戦者。中産階級の男性に「努力すれば届く成功者」という夢を見せ、「征服者の時計」という物語で欲望を刺激しました。90年代に入ると、自己実現を果たした都市のプロフェッショナル、CEOを広告に起用します。金融化とグローバリゼーションの波を背景に、「ロレックス=成功の証」というイメージを鮮烈に伝えていきました。
 高精度を誇る優秀な時計ブランドならば他にもありました。しかしロレックスは時計の機能の価値ではなく、感情的な価値、つまり憧れのステータスや人生の物語と結びつけることで、時計を「時間を測る道具」から「人生を語るメディア」へと変貌させ、威信財としての地位を確立したのです。

 この構図を高市総理の国産バッグに重ねてみます。「日本の産業を支援する」という一貫した姿勢が、リーダー像への社会的期待と共鳴し、女性の成功の証としてのバッグの象徴性を高めました。憧れや共感という感情に火がついたことで、バッグは単なるモノから、欲しい理由が生まれる威信財へと移行したのです。

 威信財には、品質・機能性・美しさという基礎的な価値は欠かせません。そのうえで、持つ人の人格・行動・一貫性という人物の価値が重なり、さらに、同時代を生きる人々が求め、憧れる英雄像につながる物語の価値が加わったとき、価格を超えて「欲しい理由」が立ち上がります。その瞬間、モノは威信を帯びた別物に化けるのです。

 「威信」を支えるのは夢や憧れといった非合理的な感情です。ラグジュアリーの研究とは、人は何に心を寄せるのかという、普遍的な問いに向き合うことなのです。

中野香織/なかの・かおり 富山市出身。服飾史家として研究・講演・執筆・教育・企業アドバイザリーに携わる。青山学院大学客員教授。東京大学大学院修了。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。YouTubeでのスーツ解説レクチャーシリーズも好評。最新刊『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』(日本実業出版社)。