自分に合っていなければ
違う場所に行き、次の挑戦をするだけ
―陸上を始めるきっかけは?
小学生の時は野球チームに入っていました。練習ですごくよく走らされて、タイムも速くて、走るのも好きだったので、中学では陸上部に入りました。
野球も普通にできたんですけど、なんか自分自身に合っていなかった。もともとスポーツは好きで、水泳や剣道もしていましたが、合っていないなと思って練習しなかったこともありました。それなら違うところに行って、次の挑戦をすればいいじゃんという感じで、自分に合うものを探していき、陸上にたどり着いた形です。
自分で考える大切さを学んだ中学の部活動
―子どものころから自分で考えて決めるタイプだったんですね。
決断は、最終的に自分でしてきました。目標を決めて、そこに向かってどうしたらいいのかを自分で調べていました。
自分で考えるようになるきっかけは、中学校の部活動でした。最初は、僕が速くなる方法は、先生の言うことを聞くことでした。それが正解か不正解か分からないけれど、先生に質問しながら、言われたことを全部やってみようという感じ。そうするうちに、自分の中でイメージができてきて、これは正しい、正しくないというのが分かってきて、独り立ちできるようになったんだと思います。
全国大会で優勝したいという強い目的意識があったことも、考えることにつながりました。顧問の先生には「自分でこれをやりたいと言っているけど、意味をちゃんと理解してからやりなさい」とよく言われ、とにかく自分で考えることの大切さを教えてもらいました。
「正しいと思うならやってごらん」と両親
―ご両親はどんな風に見守ってくれたのでしょうか。
両親からは「これをやっちゃいけない」と言われることはなく、基本的には自分の判断で行動し、好きなことも自分で探すことができました。進学する高校を探す時も、どの学校に見学に行くか、そこで質問する内容も自分で考えるよう、両親にも顧問の先生にも言われました。実際に、高校に自分で電話して話を聞いていましたね。
そういえば小学校の時、担任の先生からクラスメートを「○○君、○○さん」で呼びなさいと言われたことを母親に話していて、僕が「君、さんじゃ、友達の感じがしないんだよね」と言ったら、「自分が正しいと思うのなら先生に話してみたら」と言われたことがありましたね。今から思えば、小さいころから両親はそんな感じで、父親も「自分でそう考えたなら行動してごらん」と背中を押してくれました。
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大迫傑(おおさこ・すぐる) 中学校で本格的に陸上を始め、佐久長聖高校から早稲田大へ。卒業後は日清食品グループ、ナイキ・オレゴン・プロジェクトを経てナイキ所属のプロランナーとして活動。2018年シカゴマラソン、2020年東京マラソンで日本新記録(当時)を2度更新。東京都出身、30歳。