季節は冬に向かう。この冬には、事あるごとにサポートしていただいている、妻の実家のお母さんが、病気で手術、入院されるということがあった。妻は、娘を抱えながら、兄弟と力を合わせて、自分を娘として育ててくれた母のために、退院後の居室を整えるなど、できることをした。  私の方は、管理職に転じて朝早く出勤、仕事を覚えるのに四苦八苦しながら、家では家事育児に携り、深夜未明、娘が眠っている間に起き出して短歌関係の仕事をこなすという日々の中で、心のゆとりを失っていった。そして、日々娘と向き合って奮闘している妻への労りを忘れてしまった。妻の方は、娘の世話に追われつつ、退院後の実家のお母さんのために動き、病院にいる私の母にも気を配り、また将来を見据えた求職にも一生懸命で、自分の時間など持てない日々を過ごしていた。その妻への思いやりがおろそかになっていた。  ある土曜日、娘を土曜保育に預けて、私は休みを取って、妻と朝から出かける用事があった。ところが、急いで出かける準備をする中で、娘が鼻水を出していて、このまま土曜保育に預けるか、かかりつけの医者に診せに行くかでバタバタし、私は気持ちが苛立って、つい大きな声を上げてしまった。  妻はすぐに娘を連れて家を出て行ってしまった。電話しても出ず、やがて、しばらく家には帰らない、というメールを寄越した。冬晴れの空が、楽しかったはずの家族の休日を思わせ、一瞬の感情に負けてしまったことが悔やまれた。  妻と娘は、夜になっても帰ってこなかった。心配になり、妻の実家に電話してみた。退院後間もないお母さんが出られ、こちらには来ていないが、連絡してみます、と言われた。妻は多分、病後のお母さんを心配させまいと、実家には行かず、連絡もしなかったのだろう。私が電話したことでその配慮を無にしてしまい、申し訳なく思った。  よく相談に乗ってくれる姉にも電話してみた。そちらにも行っていなかったが、一度妻から連絡はあったという。やがて、妻の実家から電話が入り、妻と娘はどこかのホテルに入っていて、食事もとっていると連絡があったとのことだった。直接私の方にも、「大丈夫」とだけメールが入った。  深夜になって、妻は電話に出た。車で十五分ほどのところにあるホテルに泊まっているらしい。妻はかつて、職場での暴言暴力によって、深く心身を傷めた経験を持つ。激しいストレスによって、手足が硬直して思うように動かなくなり、車椅子での生活がしばらく続いた。声も出なくなり、会話は筆談で行った。精神は極めて不安定で、目が離せない状態だった。当時、私は婚約者として、妻の傍にいた。    妻は、私が大声を上げたことで、その時の記憶がフラッシュバックし、娘を巻き込みたくない一心で出て来たのだと語った。私が大声を上げたのは、妻や娘に対してではなかった。しかし、父親が苛立ちを露わにすること自体が家族を不安にしてしまうことを、自覚しないではいられなかった。深く傷つけられた経験を持つ妻は、娘を守るため、必死の思いで私から逃げ、家を出たのだ。「虐待」の入口は、こんなところにぽっかり空いている。  私は妻に謝った。その上で、私の方も、ぎりぎりのところで頑張っていることを理解してほしい、と伝えた。妻はそれを受け容れてくれた。  翌日曜の朝、ホテルへ二人を迎えに行った。娘は私の顔を見ると、さっと笑顔になり、驚くような速さで駆け寄って来た。ぎゅっと抱きしめ、抱き上げて、「ごめんね」と言った。

届かない理想がそこにあるやうに暁(あけ)の褥に笑まふ幼子
 

◆高島 裕(たかしま・ゆたか)◆


1967 年富山県生まれ。
立命館大学文学部哲学科卒業。
1996年「未来」入会。岡井隆氏に師事。
2004 年より8年間、季刊個人誌「文机」を発行。
第1歌集『旧制度』(第8回ながらみ書房出版賞受賞)、『薄明薄暮集』(ながらみ書房)などの著書がある。
第5歌集『饕餮の家』(TOY) で第18 回寺山修司短歌賞受賞 。
短歌雑誌『黒日傘』編集人。[sai]同人。
現代歌人協会会員。