8月末、レクサス富山主催の「新しいラグジュアリーを求めて」という2日間にわたるイベントで、講演およびクリエーターたちのトークのファシリテーションを務めました。美術作家、陶芸家、鋳金作家、和菓子作家、ジュエリーデザイナー、ガラス作家、家具職人、庭師、写真家、日本画家という富山ゆかりの多彩な作家が美、土地の恵み、ラグジュアリーについて語るセッションは、計4回。

レクサスが考える未来のEVカーや水素カー。AIが搭載されたEVカーは、冷たく見えるが実は「ドラえもんとのび太」のような、人間と一対一のパーソナルな関係を作る車になる

 個性際立つそれぞれの回に発見が多かったのですが、ここでは紙幅の都合上、最終セッションのことに触れます。この回は、写真家・テラウチマサトさん、日本画家・平井千香子さん、そして和菓子職人の引網康博さんと登壇しました。

 実は、講演を含めると5回目の登壇にあたるこのセッションまでにハプニングも経験し、もはや台本通りにキレイに進行するのは無意味だと悟っていました。壇上でありのままをさらしていただく(自分もさらす)ほうがいいと覚悟を決めた回でした。

ANAクラウンプラザホテルで開催されたトークセッション。左から引網康博さん、テラウチマサトさん、平井千香子さん。後方に飾られる金屏風は平井さんによる日本画で、恐竜の骨に梅の花が咲き誇っている。異世界風の妖しさで魅了する

 すると、自由に話していただいた中でも、日本画家の平井さんが忖度なしの率直さを披露して、予定調和をことごとく破壊していったのです。このアナーキーぶり、恐竜の骨に花を咲かせる彼女の画風そのもので、私は話がまとまらない焦りを通り越して、これこそが僥倖(ぎょうこう、めったに出会えない意外な幸運)ではないかという感慨を覚えました。表層をとりつくろうことはしない、本心に忠実すぎる彼女の言葉に笑いながら覚醒する会場の活気にも風通しの良さを感じました。

 その画風の魅力を解説してくださるテラウチさんもさすがアーティストで、プロの写真家の仕事とは、被写体を予定調和的に美しく撮ることではない、と解説。絶景とされる対象をなぞるのではなく、偶然の瞬間、予想もしなかった意外な一瞬を写し取ることにプロの矜持が表れるのだ、と。そのためにすべての瞬間に対して反応できる敏感さを保ち、周囲の環境に対して誠実に開かれているべきという「あり方」を強調されました。

 和菓子職人・引網さんは、40gほどの「消えもの」である菓子の価値は、味や形だけではなく文脈で決まるということを示唆しました。器や空間、誰と、どの瞬間に、どんな名で差し出されるのか。総合的な体験のなかで菓子の価値が決まる、と。だからこそ「誰かを想い、その場に最善を尽くす」という真摯な姿勢が豊かさの核になると示されました。

 3人の話からこんな風に理解しました。ローカルラグジュアリーとは、世間が定める形や理論をなぞる中にはない。その土地に足をつけた人が、対象を取り巻く世界にも自分にも誠実に向き合うなかで、思わぬ瞬間に予期せぬ形で立ち現れてくる、一期一会の「なまもの」でもあるのだ、と。

 ローカルであることは、縮小や伝統保守を意味しません。土地と人に紐づく本物の希少性を生み出す自由があるということです。自由の発露を許す環境から、気持ちのよい次世代の豊かさや活気が生まれていきます。土地の恵みがふんだんにあり、地元アーティストが活躍する富山はその可能性を秘める稀有な場所です。ここから静かな革新を世界へ届けることは、十分可能です。

中野香織/なかの・かおり 富山市出身。服飾史家として研究・講演・執筆・教育・企業アドバイザリーに携わる。青山学院大学客員教授。東京大学大学院修了。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。YouTubeでのスーツ解説レクチャーシリーズも好評。最新刊『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』(日本実業出版社)。