時差ぼけになった。一日がやたらと長いのだ。だが、海外に行った覚えはない。しいて言えば、3km先の病院へ行ったぐらいだ。まさかそんな近場で時差ぼけになるなんてありえるのだろうか? いや、あるのだ。

 ことの始まりは数日前にさかのぼる。きっかけは体の異変だった。左半身が痛くなり、お腹に発疹ができ始めたのだ。じきに治るだろうとたかをくくっていたが、とうとう微熱まで出てきたので、これはまずいと朝一番で病院へ行った。

 診断結果は帯状疱疹だった。薬を手に帰宅すると10時であった。いつもならまだぐーすか寝ている時間である。7時前に起床したので、すでに3時間は起きているということになる。14時みたいな気分なのに、実際には10時なのだ。この4時間の感覚のずれによって体内時計が狂ったようだ。これがわたしの時差ぼけの正体だったのである。

イラスト:yuki narita

 帯状疱疹は安静第一、ストレス大敵。体がだるい上に時差ぼけまで重なり、横になるだけのつもりが寝てしまっていた。

 目覚めると14時だった。帰宅したときは14時みたいな気分だったのに、寝て起きてやっと本物の14時になったのだ。

 痛み止めが効いてきたのか、痛みはすこし和らいでいた。発疹にべたべた薬を塗ってガーゼをぺたり、腹巻きでぐいっと押さえたら気分はまるで寅さんだ。『私はつらいよ』フーテンならぬ帯状ホーシンの楓である。寅さんはマドンナにお熱だが、わたしはウイルスでお熱なのだ。

 せっかくなので、家の中を旅することにした。今まで触ったことのない箪笥の角を「ほほう、すべすべだなあ」と撫で回してみたり、かがんで歩いて子どもの頃の視点を思い出したり、この家に初めて来たお客さんのようにソファに座り「へえ、いい家ですねえ」と独り言を呟いたりした。

 そんなゆったりとした家内放浪を終えて窓を開けると、春の風が入ってきた。出会いと別れの匂いがした。時計を見ると、まだ18時だった。

 旅はこれで終わりではなかった。今度は1時間足らずで日本全国を放浪したのである。北海道産の鮭、新潟県産のめかぶ、和歌山県産のデコポン、沖縄県産のトマトを夕餉で食べたのだ。北海道の雪原を抜け、新潟の海辺を走り、和歌山の柑橘畑を転がり、沖縄の珊瑚礁に飛び込んだ。想像力は旅の切符なのだ。

 富山県産のわたしの腹の中に、行ったことのない土地から来た旅人たちが集っている。買うのが出会いで食べるのが別れではない。食べ物はわたしの体の一部になるのだ。

 人は出会いと別れを幾度も繰り返す。だが、別れは決して終わりを意味しない。出会った人はわたしをつくってくれる。わたしの一部になるのだ。 時差ぼけの長い一日は終わった。この日は一日が28時間だった。

 しま・ふうか
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。