吾鼻は猫である。名前はまだ無い。
どこから聞こえたかとんと見当がつかぬ。ぉんにゃ~ぉんにゃ~ぉんにゃ~。真夜中にだれかの泣き声で目が覚めた。その声はまるで暗く深い森の底から放たれているかのようだった。
夢か現か。ぼんやりとしたわたしの耳へ、泣き声は一定のリズムで届き続ける。
猫。猫だ。
しかしながら、わたしは猫と暮らしていない。窓を開けて、ぐるりと夜を見回してみる。だが、この目が猫の姿を捉えることはなかった。きっと暗闇にまぎれて生きる黒猫なのだろう。
鳴き声は続いている。見えはしないが確かにいるのだ。居場所を探るため、息をころして耳をすます。ずっと続いていた声が途切れた。どこかへ行ってしまったのだろう。猫を探すのは諦めて眠ることにした。

うとうととしてきた頃、その声は再び鼓膜を揺らし始めた。遠いようで近い。目を閉じて肩の力を抜き、耳に意識を集中させる。ついに、探し続けた猫の居場所を突き止めた。
わたしの鼻だった。大きく吸って、大きく吐いてみる。猫は今までで一番大きく鳴いた。やっぱりそうだ。なにごとも、遠いと思っていたものほど実は近くにあったりするのだ。
どうやら鼻がつまっていて、息をするたびに音が出ていたらしい。ずっと続いていた声が途切れたのは、耳をすますときに息を止めていたからだった。
鼻がつまっているとき、わたしの鼻は猫なのだ。わたしは知らず知らずのうちに猫と暮らしていたのである。
それから一週間。昼近くまで寝ていたときのことだ。唸り声で目が覚めた。ごろがらがらごろごろ。え、虎?大慌てで耳をすますと、その唸り声は布団の中から聞こえているようだった。
虎の正体は、わたしの腹だった。夕食から時間がたっていて、おなかが減っていたらしい。
数日後、こんなこともあった。日課のラジオ体操をしていたところ、啄木鳥が木をつつき始めたのだ。こつこつこつこつこつ。
もうみなさんお分かりでしょう。膝でした。
わたしの体には、猫、虎、啄木鳥がいる。桃から生まれた桃太郎にちなみ、鼻から生まれた鼻太郎、腹から生まれた腹太郎、膝から生まれた膝太郎とそれぞれ名付けることにした。
猫の鼻太郎、虎の腹太郎、啄木鳥の膝太郎。わたしにはこの三匹の心強いお供がいるのだ。率いるわたしは母から生まれた母太郎。この四太郎できっとこれまでも旅をしてきたのだ。鬼退治に行く予定はないが、これからもこの旅は続くだろう。
感謝を込めて、お皿にのせた水だんごをあげる。冷たい流水で洗い、砂糖と塩が絶妙に混じった甘じょっぱい青きな粉をまぶす。
おいしい!わたしが食べることが三太郎にあげることにもなるのだ。
四太郎は今日も元気に鳴いています。あなたの体には何がいますか? 名前はもうありますか?
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。