食べたら、無くなった。
ついさっき作って盛り付けたばかりの料理はもう、無い。食器は空っぽになって、だが、さっきと同じように並んでいる。食べ物は、食べると無くなるのだ。
昼食は、鮭(さけ)のおにぎり、かぶの味噌(みそ)汁、ぬか漬け、あたたかい緑茶であった。
まず味噌汁をすすった。あたたかさが体の中をじわじわ通っていく。気づいたらわたしは湯船に浸かっていた。外には豆畑が広がっている。かつお出汁がフワフワ鼻を抜けると、いつしか湯船はあたたかく深い海に変わっていた。

こんなふうに、わたしは食べると心象風景が浮かんでくるのだ。温度、香り、食感、音、色、そしてその食材の育った環境。それらから風景が広がるのである。
続いてかぶを味わう。足元は一面のみぞれ雪だ。その上をトロトロ歩きながらシャキッとしたかぶの葉を口に入れると、あたりはもうすっかり初夏なのだった。朝露が葉から流れる音がどこからか聞こえ始めた。
おにぎりをほおばる。炙(あぶ)った海苔(のり)からかすかに海風の匂いがしてきた。砂浜が広がり、心地よい波音が耳に届く。ご飯を咀嚼(そしゃく)すると、足がスキップを始めた。太陽の光がつむじテンテンをあたためてくれる。米9に対してもち麦を1混ぜて炊いているから、もちもちプチプチとした食感が楽しい。その時、米山九次郎と麦田一之助、二人の飛脚がものすごい速さで目の前を駆けていった。
中の鮭に到達した。舌が塩気に触れた瞬間、海の底にどんどん潜っていく。すると、底深くには塩でできた宝石がカラカラ埋まっていた。
ぬか漬けをつまむ。きゅうりを噛むと、天気雨がツーツー降ってきた。あたりは秋の夕暮れである。あぜ道を歩く足音がぽりぽり規則正しく響いている。
最後に緑茶をいただく。あたたかさが心に染みる。たちまち、ふかふかのあったかい布団に包みこまれた。安心してつぶったまぶたの上に月の涙が一粒落ちてきた。
この昼食だけでも、一日、一年、地球まるごとを食べた気分になった。
食べるとは生きることそのものだ。食べ物は体をつくってくれる。そして、心もつくってくれる。いつどこで誰と一緒に食べたのか、どんな風景が浮かんだのか。それをことあるごとに思い出す。その記憶は心の食べ物となって、思い出すたびに心を満腹にしてくれる。
生きるとは、ただ生き延びることではない。体と心、両方をうれしがらせることだ。食べ物はその両方を担っている。人間は食べ物でできているのである。
食べ物は食べて無くなっても、ずっとあるのだ。
この連載はこれでおしまいです。読んでくださったみなさまありがとうございました。
しま・ふうか 1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。