魚津の山奥に鉱山のまちがあった。松倉、虎谷、河原波(かわらなみ)という三つの金山があり、うち松倉は、安土桃山から江戸時代にかけての慶長年間に最も金が採れた。労働者の住まいだけでなく製錬場や店、宿などがあり、「松倉千軒(せんげん)」と呼ばれるほど活気を呈したという。

 新川郡には、魚津以外に上市や旧大山の計7カ所に金や銀、鉛の山があり、「越中七かね山」と呼ばれた。

早月川支流の小早月川。さらに上流部に鉱山があった=魚津市

跡地の鉱石から金を確認

 魚津市内の川での砂金採りイベントに携わってきた魚津埋没林博物館の学芸員、佐藤真樹さんは、地学のアプローチで松倉の鉱山を研究している。

 地権者の許可を得て現場で鉱石を採集し、研究機関の分析によって金の含有を確認。坑道を3次元レーザーで測定した。

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