旅姿の俳諧師が倶利伽羅(くりから)峠にさしかかった。旧北陸街道を越中から加賀へと向かっていたのは、江戸時代の三大俳人の一人、松尾芭蕉、当時46歳。

 1689(元禄2)年3月に江戸の深川を出発し、東北や北陸の名所や古跡を回ってきた。のちに紀行文「奥の細道」に書いたルートだ。7月中旬、滑川、高岡を経て小矢部に着いた。

 この地は、芭蕉がのちに「死んだら隣に埋めてほしい」と遺言したほど敬愛した男の戦場だった。男とは約500年前の源氏の武将、木曽義仲だ。

埴生護国八幡宮にある義仲像=小矢部市

宮崎、石黒、蟹谷氏ら越中武士団が支える

 平安後期、武士という新たな集団が誕生した。理由の一つは社会の治安悪化にあった。貴族は「穢(けが)れ」を嫌った。血を流すことを避け続け、世は乱れた。

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