私もオーガナイザーを務めるパーティ”ラブバズ"が、12月で22周年を迎える。2000年代初期、富山のクラブはヒップホップやハウス、テクノなど「ダンスミュージック」で踊ることはできた。でもロックの存在感は薄かった。そんな時代に、「ロックで踊る」を掲げ、20代の若者3人で始めたのがラブバズだ。過去に執着するのは好きではないけれど、冬が近づくと、これまでの歩みや自分がラブバズと出会ったきっかけをどうしても振り返ってしまう。
ロックでもないし、踊れるわけでもないが、今回紹介する「ジョン・ウィリアムズ/伝説の映画音楽」も音楽に関連した個人史を伝える。「スター・ウォーズ」シリーズなど、多くの名作映画音楽を手掛けてきた作曲家ジョン・ウィリアムズについて、本人と関係者のインタビューを交えながら軌跡を辿るドキュメンタリー作品だ。
幼い頃にジャズ奏者である父の勧めで、ピアノを始めたジョン。大学で作曲を学び、兵役中は空軍音楽隊で編曲と指揮を担当したのち、名門・ジュリアード音楽院へ進学する。在学中からジャズピアニストとして活動していると、同じ大学出身で交流のあった作曲家ヘンリー・マンシーニから「テレビシリーズのサウンドトラックにピアノで参加しないか」と声がかかる。1960年代、映画音楽はクラシックより劣るとされ「自分の音楽を書きたいならハリウッドを出るべきと言われたが、私はハリウッドで自分を見出したんだ」と当時を振り返る。
クラシックとジャズの知識を存分に生かし作曲/編曲を手がけるようになった彼は、西部劇からロマンティックコメディまで、ジャンルの枠に捉われ
ず多くの楽曲を作っていく。
その一つを聴いた映画監督スティーブン・スピルバーグから「初めての作品に音楽を作って欲しい」と依頼される。この出会いが、彼にさまざまな転機をもたらし、誰でも一度は聴いたことがある「ジョーズのテーマ」や「スター・ウォーズのテーマ」が生まれた。

ジョンは「私のキャリアはピアノから始まり、編曲、指揮、テレビに映画と特に計画は立ててこなかった。失敗もしたが幸運だった。とくに、スティーブンとの出会いは宝物だ」と話す。
私も、計画は立てず、失敗したこともたくさんあったが、今の自分を幸運だと思っている。「ロックで踊る」と書かれたフライヤーがなければ、遊びに行っていただろうか。遊びに行っていなかったら、DJはやっていただろうか。そうやって毎年「ラブバズとの出会いは宝物だ」と心から思っている。
巨匠のキャリアと比べるのは少し気が引けるけれど。
DJ CHIGON 富山市在住。ロックDJパーティ「LOVEBUZZ」のDJ。インディーロックを中心にプレイしている。