四日前から換気にハマっている。三日坊主のわたしとしては四日続くなんて異例のことだ。
障子戸を引いて窓を開けると、外の空気が家の中に入り込んでくる。今の時期の風は夏生まれだからかなんとも陽気な感じで、フラダンスを踊りながら列をなして続々と入ってくるのだ。首にはレイと呼ばれる花かざりをかけ、葉っぱでできたスカートまで履いている。
あっという間に部屋中がフラダンサーだらけになった。東の窓から西の窓へ、ゆったりと揺れながらフラダンサーの行列が家の中を通過していく。見慣れた部屋が世にも珍しいフラダンサーの通り道に早変わりした。

いったいこのフラダンサーたちはここに来る前はどこにいたのだろうか? なにを撫でてきたのだろうか?
もしかしたら、わたしが一度も触ったことのないもの、たとえば隣の家の屋根瓦や向かいの電信柱のてっぺんなんかを撫でてきたのかもしれない。そう思うとなんとも不思議な気持ちになってくる。部屋に入ってきたフラダンサーに触れることによって、間接的に屋根瓦や電信柱に触れたことになるのだ。
こんなふうに触ったことがないと思っているものでも、実は風を通してすでに触っているのかもしれない。そうなると、世の中に触ったことのないものなどほとんど存在しないのではないかと思えてくる。
窓というのは外界との接点だ。窓を開けると外が見える。外の風が入ってくる。そして、その風と光にからだが包まれる。
これはもう外ではないか、と思った。隔てるものが無くなると、二つは一つになる。換気をすれば家にいながら外にもいられるのだ。
いつもの食事もたちまちピクニックに大変身。レジャーシートやお弁当の準備も必要ない。本来のピクニックでは食べるのに向いていない汁たっぷりのうどんや、揚げたての天ぷらなんかも楽しめる。家の中にレジャーシートを敷いてその上でサンドイッチを食べたりする「お家ピクニック」も楽しいが、家中の窓を開けて換気をしながらいつも通りの食事をする「お家の中の外ピクニック」もまたいいものだ。
換気をするとわたしも家もいきいきとしてくる。換気はきっと、家の呼吸なのだ。
わたしは生まれてから二十五年間欠かさずに呼吸をしている。珍しく三日坊主ではない。もう二十五年長髪といっていいだろう。
わたしは今、二十五年間伸ばし続けている呼吸という長髪を風になびかせながら、換気という坊主頭を長髪へ伸ばしている最中なのだ。
天気屋な風が不在の月の夜もぬけの殻の外へと出たい
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。