今、うちの冷蔵庫にはフレンチトーストが眠っている。明日の朝食にするためにさっき寝かしつけたのだ。フレンチトーストは、冷蔵庫という部屋の中でバットを敷き布団に、ラップを掛け布団にして眠っている。起こす頃にはパンに卵液が染み込んでいることだろう。
こんなふうに一晩寝かせることが工程に含まれている料理は多い。料理番組では「一晩寝かせたものがこちらです」と急に登場してくることもある。そんなときわたしはいつも、そうかこいつ寝起きなのか、とついつい笑ってしまう。寝ぐせをつけて目を擦っているような気さえしてくる。

一晩寝かせるとは、だいたい8時間くらいを指すらしい。だから、別に夜ではなく日中に寝かせてもいいのだ。だが、これだと昼寝っぽさがあるからか、同じ8時間でも睡眠不足な感じがする。そうか、夜勤明けだと思えばいいのだ。そうすれば昼間でも一晩寝かせた気がしそうだ。
それにしても睡眠というものはおもしろい。眠くなると、どんなに力持ちでもこんなに軽いまぶたすら持ち上げていられなくなるし、どんなに暴れん坊でも布団の中でじっとする。そして朝が来ると、さっきまでが嘘のようにジムに行ったり喧嘩したりするのだ。
夜ふかしをしながら、いま布団の中でじっとしている人はどれくらいいるのだろうと考える。こちらから見ればどんな人も同じような状態なのだと思うとすごくおもしろい。だが、一人一人が見ているのはそれぞれ違う夢なのだ。
そういえば眠っている夢は一度も見たことがない。ぜひとも続編の目覚める夢と二本立てで見てみたいものだ。寝て起きる自分の姿を第三者の視点で見るのではなく、夢の中で睡眠を体験してみたい。そう思ったらワクワクして目が冴えてきた。
わたしにも眠れない夜はある。そんなときは、「寝たふりをして自分を騙そう大作戦」を決行する。寝ている人に憧れながら寝たふりをしていると、そのうち本物の寝ている人になれるというものだ。
このように健やかなるときも病めるときも布団は優しくわたしを迎え入れてくれる。そんな感謝してもしきれない布団には、掛け布団と敷き布団という人間が考えた名前がついている。だが、わたしは思うのだ。人間こそが掛け布団にとっての敷き布団、敷き布団にとっての掛け布団なのだ、と。
そろそろ眠たくなってきた。寝る子は育つと言うし、カレーは二日目がおいしいと聞く。睡眠はいろんなものにとってとても大切なことなのだ。よし、わたしと一緒にこの文章も一晩寝かせることにしよう。
と思ったが、今は本当に現実なのだろうか? もしかしたら書いているわたしも読んでいるあなたも「眠って目覚めて生活する夢」の中にいるのかもしれませんね。
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。