味噌汁になにやら黒いものが浮いている。

 試しに箸でつついてみたところ、その正体はなんと小口ネギの穴だった。味噌汁は時間が経つと上澄みができる。ネギがそこにいたことによって穴が黒く見えたようだった。

イラスト:yuki narita

 豆腐とわかめとネギ、この組み合わせで味噌汁を作るといつも、豆かぶりだなと思う。豆腐も味噌も大豆からできているからだ。

 この他にも大豆に関連する食べ物は多い。そもそも大豆は枝豆を完熟させたものだ。日に当てずに発芽させるともやし。炒ると節分でもお馴染みの炒り豆、それを挽くときなこに。発酵させると味噌や醤油、納豆になる。茹でて搾るとおからと豆乳。その豆乳を加熱すると湯葉。にがりを加えて固めると豆腐。それを加工したのが薄揚げや厚揚げ、がんも、焼き豆腐。大豆油なんかもある。

 大豆はこれだけたくさんのものに変身するのだ。そのどれもが本当においしく、畑の肉と呼ばれるだけあって栄養価も高い。一つの料理の中に複数の大豆加工品が含まれるのも納得だ。 豆腐とわかめとネギの味噌汁と一緒に納豆ご飯を食べるなんてこともあるだろう。納豆にはもちろん醤油を混ぜる。これも豆かぶりだ。こうなると一食で2豆かぶりということになる。

 だが、わたしはこの豆かぶりのことを美しいとさえ思うのだ。どちらも水なのに、海に降る雪がきれいなのと同じように。

 一緒に育った大豆の四兄弟。豆太郎は納豆、豆次郎は醤油、豆三郎は味噌、そして豆四郎は豆腐に。

 再会は食卓ということもあり得る。もしそうなら、豆太郎と豆次郎、豆三郎と豆四郎の二人ずつは再会できるが、四人が会うのは腹の中ということになってしまう。

 そういえば、納豆のねばねばは味噌汁につけると取れる。これは実は四兄弟が再会した証なのかもしれない。

 わたしは豆腐の味噌汁を作るとき、必ず他の具材を二つ入れるようにしている。豆腐と味噌は兄弟だから、なんとなく一つではその具材だけが仲間はずれになるような気がするのだ。だから、わかめとネギを入れてこの二つが仲間になるようにしている。

 それでしばらくは勝手に満足していたのだが、ふと、かつおぶしで出汁をとっていることに気づいた。かつおとわかめは海つながりだ。ということはネギだけが孤独になってしまうのではないか。こっちの自己満足で今までもネギにつらい思いをさせていたのかもしれない。

 申し訳ない気持ちになりながら味噌汁を飲んでいると、二本の箸の先端がネギの輪の中にはまって拘束されてしまった。

 こんなときいつもなら「わー。」と思うだけだが、今回ばかりはネギが箸という仲間を見つけて抱きついているような気がしてならなかった。

しま・ふうか
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。