一足一万円の靴下を作るメーカーがあります。(株)ウエストです。エジプト産の最高級超長綿や極上のカシミヤ糸を使い、完璧に足の形に添うように織り上げられた靴下です。越前和紙に包まれ、桐箱に入れられ、真田紐をかけられて販売されています。専門家の言葉を借りれば「靴下の顔つき」が違うので売り場で浮き上がって見えます。

 この靴下を編むことができる特別な機械は、日本に5台しかありません。さらに言えば、その機械を扱うことができる熟練技術者は数えるほどしかいません。この機械と技術者をともに擁する日本の工場は、ただ1軒になってしまいました。

 福島県いわき市にあるこの工場は、もともと、大手肌着・靴下会社が所有していましたが、いわき市の事業が閉鎖されることとなり、ウエストが設備と技術者をすべて引き受け、自社工場「いわき靴下ラボ アンド ファクトリー」として再生させました。

 社長の西村京実さんは、この工場を知ってもらうためにクラウドファンディングを始めました。隠れたテーマは、技術者の自尊心の覚醒です。「最高級の靴下を編むことができる機械を扱える技術は特殊で、高い価値をもちます。この事実をまずは技術者自身に自覚してもらいたい」と京実さんは語ります。

いわき靴下ラボ アンド ファクトリー」。取り扱いが難しい稀少な編み機が残る。若手の育成にも力を入れている

 現在、工場で働くスタッフは16人なのですが、彼らはこんな風に話しました。「私たち工場労働者の技術は、とりかえがきくものとして安く買いたたかれてきた。そんなに高度な技術だったとは、京実社長に指摘されるまで夢にも思っていなかった」と。大手の経営者は、賃金を上げなくていいように、技術の価値については「何も言わなかった」わけですね。

 「工場が失われ、技術が失われてしまった後に、惜しんでも手遅れなのです。そんな後悔はしたくない。そのためには何よりも、自分たちで自分たちの価値を理解して、高く売る勝負に出なくてはならない。人から言われたことしかやってこなかった労働者にも責任があるのです」と京実社長。かくして彼女が率いる工場労働者たちは、技術の価値に覚醒し、自ら独自の企画を立て、ここでなくては作れない超高品質の靴下を生産して、工場から直接、世界へと発信するシステムを確立しようとしています。

 靴下なんて3足1000円の消耗品でいい、という考え方も根強くあります。逆にそうした量産品をこの工場は作りません。自分たちが作る製品の価値を理解してくれる顧客層に向けて、正当な賃金をいただける価格で取引していく。結果として日本のラグジュアリーを世界に問いながら、生産に関わる人すべてが幸福になる商習慣を築くことも視野に入れています。そんな心意気は正しいターゲットに理解され、クラウドファンディングは一日で目標額を超えました。

 いわきの工場発のこの試みが、全国の職人たちと心ある経営者に影響を与えていくことを期待します。言われるままに安価なものを安い賃金で作るだけの下請けから脱却し、正当な自尊心をもち、主体的に世界に提案することで変化を作っていくというやり方があります。次世代の製造業の幸福は、作る人の尊厳を守ることが大前提になるということ、いわきラボの挑戦は示唆しています。

中野香織/なかの・かおり 富山市出身。服飾史家として研究・講演・執筆を行うほか企業の顧問を務める。東京大学大学院修了。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。著書多数。ジェニー・リスター著、中野香織監修『新装版  時代を変えたミニの女王  マリー・クワント』(グラフィック社)発売。