日本の伝統織物のなかでも最高級品として扱われる織物の一つに、宮古上布があります。琉球王国時代から宮古島で織られ続けており、数百年の伝統をもちます。重要無形文化財宮古上布保持団体の代表であり、織り手のひとりでもある新里玲子さんの工房を訪ねました。ご自宅の敷地の一部に工房があります。職住一体型の生活のなかから宮古上布は生まれます。

宮古上布に使われる糸は苧麻。麻の一種です。これを水につけてふやかしてから細かく裂き、糸としてつむいでいきます。手間暇のかかる作業を必要としますが、払われる賃金は高くありません。伝統的に「島のばあば」と呼ばれる高齢女性が担っており、この世界に若い方が入ってこないのは伝統技術の継承にとって「解決すべき課題」なのだと私はこれまで思い込んでいました。
ところが、玲子さんのお話は、その思い込みを覆すものでした。
「糸はね、60代という若い頃から始めるのが適切で、90代でようやく大成するのです」と玲子さんは語り、太さが違う数種類の糸を見せてくれます。「60代の人がつむいだ糸は極細。年齢を重ねるにつれ、糸が太くなっていくのがおわかりでしょう? 手の感覚が鈍くなり、だんだん糸が太くなっていくのです」。これは欠点と思いきや、そうではない。太い糸は帯にふさわしく、さらに高価で取引されることもあるそうです。「辛抱強さを備えた60歳で習いはじめ、感覚が鈍くなる90歳で大成する。だから高齢化万歳、と私たちは言っているんですよ」と玲子さんは笑います。「90歳になってようやく、糸をやっといてよかった、と女性たちは言うんです」。
衝撃でした。家族のケアもひと段落し、ようやく自分と落ち着いて向き合えるようになった女性たちの特別な聖域を見る思いがしました。年を重ねることが希望になる世界がそこにありました。「糸には魔力がある。織れば織るほど魅了されていくんです」と玲子さんは語ります。高齢女性の可能性を引き出し、生活を充実させ、コミュニティーを育て、年を重ねることを熟練の喜びに替えてきた島人の知恵を見る思いがしました。

とはいえ、低賃金で作られる糸が消費者に届く時には数百万円になるという流通の問題は「解決すべき課題」であることに変わりはなく、玲子さんも試行錯誤してきました。「問屋7割、直販3割というのが、いい塩梅として落ち着いています。というのも、高級品の扱いは消費者には難度が高く、問屋に任せる方がいいことも多いのです。生産者は消費者のケアまでできません。直販で大きな利益をあげ、難しいことは問屋に任せるというのも一つの方法なのです」。
また、職人の賃金を上げることも簡単なことではありません。「一か所の賃金を上げると、うわさが広まり、他の生産者がやりにくくなるのです。糸の世界はデリケートなのです」。
女性が手仕事を続けながら年を重ねることに価値を与えてきた島人の知恵。古くからの慣習や人間関係がからみ、賃金や流通を変えることも一筋縄ではいかない商習慣。明に暗に織りなされる人間社会の綾が、宮古上布の複雑な奥行きとして見えてきます。グローバリズムの経済合理性の圏外にある産業の全体性を尊重することが、かえって宮古上布の稀少で貴重な価値を支えていることにも気づかされます。