能登半島地震は2月1日、発生から1カ月を迎えた。富山県内で最も被害が大きかったのは、地元の氷見市だった。震度5強の揺れから津波警報が出され、高台への避難や5日間の断水生活を自ら体験した。初めて被災者となった記者が、液状化や住宅損壊を目の当たりにして感じたのは、「日頃からの備え」という基本だった。

食べ物散乱、食器も割れ

 1月1日午後4時10分。氷見市役所近くの実家にいた時、震度5強の揺れに襲われた。台所では冷蔵庫の扉が開き、正月用に用意していた食べ物が散乱。棚から落ちた食器も割れ、足の踏み場がなくなった。

冷蔵庫から食べ物が落ち、食器も割れた実家の台所

 片付けようと思った矢先、テレビに津波警報が出た。女性アナウンサーが「早く、逃げて!」と絶叫する。冷蔵庫の扉を閉めることもせず、慌てて家族を車に乗せ、朝日山公園に向かった。

朝日山公園の自販機に並ぶ市民。長い車列もできていた=1月1日午後4時40分ごろ、氷見市幸町

 朝日山公園は近くに氷見高校や市ふれあいスポーツセンターもあり、周辺は長い車列ができていた。自動販売機には多くの人が並び、飲み物を買う。車を降りて市街地を一望できる場所に行くと、大勢の人が海の様子を見ていた。

津波警報を受けて避難し、海の様子を見る人たち=1日午後4時半ごろ、氷見市朝日山公園

 津波ははっきりと分からなかったが、阿尾地区の海岸は普段より波が高くなっていた。翌日、地震発生直後に氷見漁港で消火活動に当たった近所の消防団員の話では、当時波が岸壁を越え、くるぶしまで海水に漬かったという。

地震発生後の氷見市阿尾地区の海岸。高い波が見えた=1月1日午後4時55分ごろ

 氷見市芸術文化館は、駐車場に水が浮いているのが見えた。この時は周囲の人と「水道菅が破裂したんかな?」と話していたが、液状化によるものだった。

液状化で水がたまった氷見市芸術文化館駐車場=1月1日午後5時ごろ、同市幸町

 一緒に避難していた石川県輪島市出身の義姉は、輪島の父親の安否確認ができなかった。この間、車で見ていたテレビからは能登半島の甚大な被害がさみだれで流れてくる。

地震で倒壊した輪島市内のビル

 「こういうときは、何と声を掛ければいいんだろう」

 軽はずみに「大丈夫」とも言えず、不安を助長してもいけない。「掛ける言葉が見つからない」とはこのことだった。幸いにも、1日夜に義父らの無事が確認され、ほっと胸をなで下ろした。

親が「飲まず、食わず」に

 翌2日は氷見市内の被害状況を見て回った。顔なじみも多く、互いの状況を報告し合った。

ひび割れした「ひみ番屋街」前の道路=1月2日、氷見市北大町

 道路のひび割れ、液状化の土砂、倒壊した家屋。毎年家族と初詣に訪れ、地震発生3時間前に参拝した日宮神社(中央町)の変わり果てた姿を目にした時はがく然とした。

灯籠などが崩れた日宮神社=1月2日、氷見市中央町

 東日本大震災や熊本地震など被災した古里の様子を伝える地方紙の記事は、これまで何度も読んできた。まさか自分が書く側になるとは

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