人間はかぼちゃになるべきだ。
ちょうど時は冬至。一年で一番昼が短い一日である。そして、かぼちゃの煮物を食べる一日である。
かぼちゃは煮物にする場合、面取りをする。角を削ぎ落とすことによって煮崩れしにくくなるのだ。
丸くなることで強くなる。人間も同じではないか、と思った。角があると自分も他人も傷つけて崩れやすくなる。人間も適度に面取りをするべきなのかもしれない。
人類総かぼちゃ化計画である。
そういえば、人前で話すときの緊張を和らげる方法に「全員かぼちゃだと思え」というものがある。これはなぜかぼちゃなのだろうか。

頭に似て丸いからだろうと思ったが、それだと首から上だけがかぼちゃの人間を想像しろということになる。本当にこれで緊張は和らぐのだろうか。
目だ!かぼちゃには目がない。我々が怖いのは視線なのだ。そうなるとかぼちゃ人間が効果的なのも頷ける。
こんな時かぼちゃと肩を並べるものといえばじゃがいもだ。こちらも頭に似て丸いが、二つには決定的な違いがある。
じゃがいもは油断するとすぐ芽が出るのだ。この芽というのは、実は目なのではないか。これではよりたくさんの目に見られることになってしまう。どうやらこの勝負はかぼちゃの勝ちのようだ。
いや、そうは言ってもかぼちゃ人間ではシルエットが人間のままだから、まだ緊張が残ってしまいそうだ。他にいいものはないだろうか。
反対に細長いもの。きゅうりなんかはどうだろう。
だめだ。頭とあまりにもかけ離れていて想像しにくい。やはり丸いものじゃないとだめなのか。
そうか、シルエットが人間のままでも緊張さえしなければいいのだ。
では食べたいものならどうだろう。高級マスクメロンやシャインマスカットだとしたら。
そりゃあ猛ダッシュで駆けつけてすごい勢いでかじりつくに決まっている。もう話どころではない。全然だめだ。
今度は食べ物以外で考えよう。落ち着けるものがいい。一番リラックスするときといえば、やはり眠るときか。
夜。丸いもの。
月だ!これなら丸くて想像しやすく、目もない。リラックスできるし、飛びついて話にならないなんてこともない。
よし、これからは月に向かって話をしよう!
ここまで考えたところでふと、自分が聞き手だったら何だと思われたいだろうか?と思った。
答えは簡単だった。かぼちゃだ。だが、かぼちゃ人間ではない。面取りされたかぼちゃの煮物に全身でなりたいのだ。
こう思ったわたしはその晩「どうか人類総かぼちゃ化計画の記念すべき一人目になれますように」と月に向かって話しかけたのであった。
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。