コップに入ったお茶を飲んだ。つもりだったのだが飲めていなかった。
コップで飲み物を飲むのはなかなか難しい。わたしはもう24年も人間をやっているが、未だにコツが掴めない。①唇にコップのふちをあてる②ゆっくりと傾ける。文字で書くとたったこれだけなので、こんなもん誰でもできるわいと思うのだが、実際は全然うまくいかないのだ。唇にコップのふちをあててから傾けないといけないと分かっていながら、なぜか唇の手前で傾けてしまう。そうなると当然お茶はお腹のあたりをびしょ濡れにする。最悪だ。もう慣れっこであると言いたいところだが、毎回ちゃんと動揺してしまう。

さすがのわたしでもうまくいくことはある。だが、ここで油断してはいけない。お茶を含んでいるのを忘れて口を開けてしまうことがあるからだ。①口にお茶が入る②飲み込む③話はじめる。こう書くとやっぱり簡単なことに思える。
でもなぜか月1くらいの頻度でこのどちらかをやらかしてしまうのだ。
今回は観測史上1、2を争う被害だった。コップの中身のほとんどをこぼしたのだ。もう服が飲みたがっているとしか思えない。急いで着替えながら、こんなに濡れたことに動揺を隠せなかった。ショックでしばらくは唇も喉も何も受け付けそうにない。
いや待てよ、風呂があるではないか、と思った。あれはこれよりずっとすごいはずだ。お茶をこぼして濡れたのはお腹の近辺だけだ。だが、風呂はそうはいかない。なんと全身がびしょ濡れになるのだ。それも髪の毛までもだ。体はタオルで拭けば水気は取れるが、髪の毛はそれだけではすまない。ドライヤーから出る熱風にまでお世話にならないといけないのだ。
そう考えると、たかがお茶をこぼしたくらいでこんなに落ち込んでいる自分がバカバカしくなった。これで心置きなくこぼすことができそうだ。
そんな矢先、またこぼした。だが、今回は一滴だけである。ある意味悟りの境地に達したので、あんまり自分を責めんとこうと思ったのだが、これは醤油だ。しまった。
一瞬焦ったが、こんなこともあろうかと黒い服を着ていたのだった。これだけのこぼしのプロともなれば備えは万全だ。
わたしはもう何年もほぼ黒い服で過ごしている。白い服は気づいたときにはシミだらけでゾッとするからだ。だが、もしかすると今着ている黒い服も見えないだけでそこかしこにシミがあるのかもしれない。
その時、どこからか金子みすゞの「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」(『星とたんぽぽ』より)とささやく声が聞こえた。
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。