わたしはときどきかっぱになる。特別かっぱに憧れているわけでもないので、理由はわからない。「なんか今日はかっぱだな」とぼんやり感じるのだ。

鏡を見てもいつものわたしが映っているので「なんだ、ただの勘違いか」と安心していつも通り生活するのだが、やはり人間のふりをしたかっぱに過ぎないようでどこかしっくりこない。
かっぱになってしばらく経った頃、無性にきゅうりが食べたくなった。丸かじりしようと思ったが、これだと本当のかっぱになってしまうおそれがあるので、細巻きにすることにした。料理をすることは人間であることの証明になる。
いや、ちょっと待てよ。これはかっぱ巻きではないか。かっぱから少しでも離れようと、無い頭をフル回転させて考えた結果がこれである。かっぱがどこまでも追いかけて来る。
怖くなり作るのをやめようと思ったが、口がどうしても食べたいと言って聞かないので、仕方なく作ることにした。ただ、かっぱ巻きと呼ぶとなんだか負けた気がするし、心なしか共食いみたいな気持ちにもなるので、きゅうりの細巻きと呼ぶことでなんとか自分を納得させた。
細巻き作りは初めての経験だったが、思いのほか上手くいった。「なんだこんなの屁のかっぱだな」などとたいして面白くもないことを呟きながら出来上がったものを見ると、とても細巻きとは呼べそうにない太さである。もはや中巻きだ。細巻きではなく中巻きと呼ぶべきか、はたまたプライドを捨て去って潔くかっぱ巻きと呼ぶべきか、脳内で会議が始まった。
「サヨリは漢字で『細魚』と書く。どんなにふくふくしていても『中魚』や『太魚』に変わるわけではないだろう。つまり細魚は細魚だ。これも細巻きだと思って作ったのだから、細巻きは細巻きだろう」。この意見に反対するものは一人もいなかった。
全会一致で細巻きと呼ぶことに決まったので、さっそく食べることにした。乾いた皿に醤油を注ぎ、そこへ細巻きをつけて食べる。おいしい!
食べ終える頃にはもう、わたしはわたしに戻っていた。満たされた腹を撫でながら考えた。なぜわたしはときどきかっぱになってしまうのだろう、と。人間に戻ったきっかけはどうも細巻きらしい。
もしや皿が潤ったからか? 人間にとって皿が潤うのは料理を食べるときだから、皿の乾きとはすなわち空腹ということになる。頭の皿が乾いたかっぱになることで自分自身に空腹を知らせていたのか?
残念ながら今回は完全解決とはいかなかった。だが次回こそはなにがなんでも絶対に解き明かしてみせる! と心に固く誓ったのであった。
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。