焼きビーフンを作るのにビーフンを買い忘れてしまった。メモまでしていったのにこんなざまとは情けない限りである。おかげでおいしい野菜炒めをいただくはめになった。だが、こんなことで落ち込むわたしではない。もっと散々なことが先月あったのだ。

1月7日のことである。スーパーから帰ってきたわたしはこたつでごろごろしていた。ふと、ポケットに違和感を感じて手を突っ込んでみると何かがいた。それは番号が書かれた小さな紙だった。その瞬間、わたしはすべてを理解した。
一時間ほど前、鮮魚売り場でふくらぎの三枚おろしをお願いしたときの引換券である。さばいてもらっている間に他の買い物をしてから取りに行こうと思っていたのだが、そのことをすっかり忘れて家に帰ってきてしまったのだ。
大変だ! 迎えに行こうと急いで車に乗り込んだとき思い出した。あの時、売り場に誰かが忘れていった魚がすまなそうに並んでいたことを。わたしは母と、その人のまぬけ面を想像して笑っていたのだ。まさか同じことをやらかすとは、とんだすっとぼけ親子の誕生である。
スーパーに着くと、わたしたちのふくらぎはでかい顔をして待っていた。よかった! すぐに抱き上げ、レジへと向かった。
家へ帰ると、もう夕食を作る時間になっていた。
さっそくふくらぎを煮付けにした。これですっとぼけポイントがチャラになった。
次は七草粥である。一年ぶりの対面に胸を躍らせながら七草を探したがどこにもいない。カバンの中も机の中も探したけれど見つからないのだ。そういえばスーパーでは顔を合わせたが、家では一度も見かけていない。見かけたことに満足してカゴに入れるのを忘れたようだ。すっとぼけポイントが復活した。
せめてふくらぎを迎えに行ったときに気づいていれば。いやいや、人間は忘れることができるからこそ生きていけるのだ。そう自分に言い聞かせて、忘れたことも忘れようとした。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草。わたしは力なく呟きながら床にへたり込んでしまった。
その時、母がすごい勢いで冷蔵庫をあさりだした。そして次の瞬間、これがある!と叫びながら何かを取り出した。大根である。そうか!スズシロだ!冷蔵庫を背にトーチのように大根をかかげた母には、目を開けていられないほどの後光が差していた。
そんなこんなで無事に夕食は完成した。ふくらぎの煮付けと一草粥は、正月のご馳走に疲れたすっとぼけ親子の胃腸に優しく染み渡ったのであった。
しま・ふうか
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。