(左)稲場朱里(いなば・あかり)堀川中、秀明英光高(埼玉)、秀明大(千葉)を経て、2020年に電算システムに入社。17年のユニバーシアードで日本初の銅メダル獲得。

(右)稲場悠介(いなば・ゆうすけ)堀川中、第一学院高(通信制)を卒業し、新潟産業大に在学しながらブルボンでプレーする。高校3年で日本代表に選出されたインターコンチネンタル杯で3位。

水球との出合いは、近所の人の一言

子育てを振り返る智春さん

最初に水球を始めたのは、長男の航平で小学1年の終わりごろでした。少し前に、富山市内で小学生が知らない人に切りつけられる事件があり、それ以降、航平は一人で外を歩くのを怖がるようになっていました。

私自身、体を動かすのが好きだったこともあり「何かスポーツをさせれば、心も体も強い子になるのでは」と考えていました。そんな時、たまたま子どもを水球クラブに通わせている町内の方から「送り迎えもするからやってみない?」と声を掛けていただき、体験に行くことにしました。

航平は3歳から水泳教室に通っていたので、水には慣れていましたが、水球のプールは深さ4メートル。浮きを付けられ、半泣きでプールに入っていきました。それが、終わるころには、目を輝かせて「ぼくスイミングやめて、ここに来る!」と言ったんです。それでクラブに通うようになり、下の子たちも次々と始めることに。近所の方の一言がなければ、今のあの子たちはなかったと思うと、本当に感謝しています。

悠介は兄の楽しそうな姿を見て
朱里は練習後のフライドポテトに釣られて

悠介は、小学1年から水球クラブに入り、すぐにのめり込みました。当時から「世界一の選手になる」と言い、海外選手のプレー動画をよく見ていました。一方の朱里は、小学3年からクラブへ。最初は、終わってから食べるアイスクリームやコンビニのフライドポテトなど、おやつが目的でしたね。

小中学校時代に全国V

子どもたちが、水球の面白さを本当に感じるようになったのは、クラブチームで大会に出るようになってからだと思います。頑張れば頑張るほど結果が付いてきて、朱里は中学1年の時、悠介は小学6年と中学3年で全国優勝を果たしました。それは野球やサッカーと違い、競技人口が少ないマイナースポーツだったからこそ経験できたことかもしれません。

全国優勝を果たした中学1年の朱里さん=2010年8月

またチームには小学生から高校生までいて、みんなとても仲が良く、一緒にいること、練習することが本当に楽しかったようです。なので4人とも「練習がつらい」とか「行きたくない」と言ったことは一度もありませんでした。

富山市体育協会から優秀選手に選ばれ、表彰式で母と記念撮影する中学3年の悠介さん=2016年1月

親としては、チームに子どもを預けたらもうコーチにお任せ。あとはチームの子はみんな我が子ぐらいの気持ちで応援していました。水球は見ていて本当に面白く、私も子どもと一緒に水球を楽しんでいました。きっとそんな私の気持ちも伝わって、4人とも伸び伸びとプレーができたのかなと思います。