『深夜特急』『テロルの決算』などの著作で知られる作家の沢木耕太郎さん。ノンフィクションの名手として知られる沢木さんは小説も手がけ、昨年出版された『暦のしずく』は自身初の時代小説だ。富山市立図書館の移転開館10周年を記念して開かれた講演会に訪れた沢木さんに、ノンフィクションの手法や最新刊の狙い、次回作などについて聞いた。(聞き手・浜松聖樹)
 

 

―富山市立図書館の講演会を受けた理由は。

 小学生から高校生の頃、貸本屋で時代小説などを毎日1冊借りて読んでいた。その貸本屋が、僕にとっては最初の〝図書館〟。ルポライターになり、資料を集めに図書館に通い、本当に助かった。僕はそんなに講演会をしていないけど、図書館からの依頼は断れない(笑)。

―沢木さんのノンフィクションは、徹底した三人称の『テロルの決算』や、自分が見たものしか書かない『一瞬の夏』などさまざまな手法を取っています。それはなぜですか。

 やっぱり、それがエネルギーになるっていうのかな。ノンフィクションを書くことに使命感を持っていれば別だけど、僕はそんなに使命感を持っていない。だから、方法を新しく発展させていくことがエネルギー源になり、その力で作品を書いていくことがずっと続いていた。

 だけど、やがてそれではやっていけなくなる。新しい方法というのは、そんなに考えられないわけだから。方法を追求していくのは、あるところでストップせざるを得なかった。だけど、常に新しいことをやってみたいという感じはあって。それはノンフィクションの方法ではなくて、例えばスポーツ小説や時代小説は僕にとって新しいことだから、エネルギー源になるわけですよ。

 

―『暦のしずく』は初の時代小説ですね。主人公の講釈師、馬場文耕(ぶんこう)を、取材したことを伝えるジャーナリストと捉えていますね。

 事実を語り、突き詰めていく講釈師は馬場文耕で途絶えた。この前、講談師の神田伯山さんと対談した時に、ジャーナリスティックな講釈師が現代に生まれて「二代目馬場文耕」を名乗ったら面白いと言われ、なるほどと思ったね。

―剣豪小説のような部分もあり、エンターテインメントとして非常に面白かった。

 君の言う通り、剣豪小説を狙い、エンターテインメントになることを望み、どこかでジャーナリスト論を兼ねている。それをごちゃ混ぜにして、トータルでいえばエンターテインメントとして成立してほしいと思っていた。

―馬場文耕が楼主の俵屋小三郎に親しみを持つ理由が、稼業に対する「半端さ」が似ていることでした。『一瞬の夏』で、沢木さんがカシアス内藤さんに抱いた感情と似ている気が。

 なるほど。そこは全く同じ構造だね。おっしゃる通り。カシアス内藤の中途半端さと、自分が似ていると思っているところは同じだ。全然、気が付かなかった。結構似たようなことやってんだな(笑)。

―結末は見方が分かれますね。その後がどうなったか気になります。

 本当に

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