女子U15ソフトボールW杯で世界一に貢献した樹梨亜さん

きっかけは、たまたま目にしたテレビ

ー競技を始めたきっかけを教えて下さい。

誠さん 高原家って代々足が速いんですけど、樹梨亜は遅かったので、速くなればいいと最初はサッカーか陸上をさせようと考えていました。そんな時に、たまたまテレビ番組でソフトボールの場面を目にした樹梨亜が、急に「これ、やってみたい!」と言い出したんです。もうすぐ小学2年になる年の冬でした。

ー競技を始めた当初はどんな選手でしたか?

最初は球があっちこっち行くのが普通なのに、樹梨亜の球はちゃんと真ん中に収まる。周りの親御さんからも「コントロールが良い。最初からこんなにできる子はおらん」と褒められました。

小学校時代の樹梨亜さん

「人の3倍努力せんと」

ー競技を始めた当初からつけている練習ノートには、「オリンピックに出て、プロになること」という目標が書いてあるそうですね。

誠さん 小2の夏、娘からあらためて「真剣にソフトボールに取り組みたい」と言われました。「本気でやるんなら日本代表を目指せ。でも、あなたは足も遅いしセンスもない。だから人の3倍努力せんと駄目だよ」と伝えたのを覚えています。

ノート1冊目に書いた目標。今は16冊目に入った

ーその時から、親子二人三脚で競技と向き合う日々が始まりました。どんな練習をしてきたのですか。

週2~3回あるクラブの練習のほか、自宅で行うトレーニングは、競技を始めた当時から今まで欠かさず続けています。バッティングやピッチング、指の感覚を養うトレーニングなど、YouTubeやアメリカの選手の練習を参考に、メニューを考えています。小学校高学年の時は、自分の仕事が終わるまでの間、母親が学校のグラウンドについて行って、ピッチング相手をしていたこともありました。母親は青あざを作りながら頑張っていましたね(笑)。

自宅の車庫で、毎日行うバッティング練習

ー活躍の背景には、ご両親の手厚いサポートがあったのですね。指導する上で、これまでどのような言葉掛けをしてきましたか。

誠さん 結果が出るまでしっかり努力しろ、ということはよく伝えてきました。競技についてだけのことですが、努力した結果、負けたけど、その努力は報われるよっていう日本の風潮があるじゃないですか。あれ大嫌いなんです。努力しても結果を出せなかったら努力が足りなかったということ。娘にも「結果が全て」だと言っています。

小6の北信越大会では準優勝を収めた

幸さん 父親が手をかけている分、私はあまり口を出さないようにしています。樹梨亜にとって、息抜きできる存在になれたらなと。それにどうせ私が言っても「ママは知らんやろ」って言われるのがオチだから、じゃあもう黙っていようと。試合前に好きなメニューを作るとか、そういうサポートをしています。

口答えしたことは一度もない

ー思春期の女の子でもある樹梨亜さん。方向性の違いでぶつかったり、ソフトボールを「やめたい」と言われたりしたことはなかったですか?

誠さん ないですね。「やめれ」って言っても絶対にやめなかった。最近は競技に関してほとんど言うことはなくて、どちらかといえば競技に対する姿勢の面で、もうちょっと成長してほしいと叱ることはあります。でも口答えをしたことは一度もないですね。たまににらんでくるけど…基本的に仲良しです。

父親の隣で笑顔を見せる樹梨亜さん

五輪出場、ソフトボール界の〝大谷翔平〟に…

ーU15日本代表として世界一に貢献し、着実にステップアップを果たしています。今後の活躍について、望むことはありますか。

娘の活躍を願う母の幸さん(左)と父、誠さん

幸さん 競技のことは本人が分かっているはず。私が思うのは、けがなく取り組んでいってほしいなということだけですね。

誠さん U18の日本代表になって、2028年のロサンゼルスオリンピックに出てほしいです。そこを目標に始めましたから。あとは、投げても打っても活躍してくれるソフトボール界の〝大谷翔平〟になってくれたらいいなと思います。