※スロープスタイル…キッカー(ジャンプ台)や障害物を演技しながら滑り降りる採点競技 
※斐毬さんのInstagram

どんどん上達するのに教え方が分からない

―斐毬さんがスノーボードを始めたのはいつ頃ですか?

4歳からです。富山に住んでいるので、ウインタースポーツの一つくらいできればいいなと思って、始めさせました。小学校1年生のときに「牛岳スキー場」のキッカー(ジャンプ台)やレールなどがあるエリア「スノーパーク」に入るようになり、どんどん上達していきました。姉2人よりも上手くなるのが早くて驚きました。運動神経やバランス感覚がもともと良かったこともありますが、コツをつかむのがうまかったですね。水泳のリレー競技では、富山市代表として県大会で優勝したこともあります。

スノーボードを始めたころの斐毬さん

―お父さんご自身もスノーボード競技の経験者だったのですか?

競技としてのスノーボードは全く経験はありません。少し滑れるくらいです。最初は私のやり方をまねしていましたが、1回転といった技が出てくると、教え方が分からなくなりました。野球やサッカーのようにクラブチームなどはなく、どんどん上手くなるからこそ、その道が見つからず悩んでいました。

自転車を乗り始めたのは3歳3カ月ごろ。姉妹の中で1番早く、最初から補助輪なしだった。写真は4歳の姿

そんな時、白馬に滑り行くと、とても上手な子どもたちがいました。調べると、本格的に競技に取り組んでいるスクールの生徒だったんです。そのスクールが参加する合宿に行き、スノーボードのオフシーズン用トレーニング施設「富山キングス」(立山町芦峅寺、現在のSLAB OUTDOOR PARK TATEYAMA)の関係者と知り合いました。声を掛けてもらい、小学4年から通い始めたのが転機ですね。スロープスタイルとビッグエア(ジャンプ台から飛び出して空中技や高さを採点する競技)に取り組みました。

水泳を辞め、スノーボードに専念

―本格的な競技生活の始まりですね。

まだその頃は水泳との両立で、平日が水泳、週末はスノーボードという生活でした。小学5年からスノーボードの大会にも出るようになり、水泳を続けるか、スノーボードに専念するかを本人に聞いたところ、スノーボードを選びました。富山市内の自宅から自分でバスと電車を乗り継ぎ、富山キングスに毎日通うようになりました。

オフシーズンの練習風景

家族で使っていたハイエースも、車中泊ができるように改造しました。週末は金曜の夜に富山を出て、白馬のスキー場近くで2泊して、日曜の夜に帰宅します。

スロープスタイルの大会での一こま

スキー場では一緒に滑って、撮影した映像を2人で確認します。過去の映像と比較したり、指導を受けた内容が実践できているかをチェックしたりしました。難易度の高い技に挑戦するときは、ケガをしないかドキドキしながらカメラを回していました。

ビッグエアでは空中で技をくり出す

もっと上を狙えると思ったアジア大会

―アジア大会3位の結果については?

もちろんうれしいですが、「もっと上に行けたんじゃないか」という気持ちもあります。ただ4月に龍谷富山高校に進学できたことは大きな意味がありました。過去にスノーボードの大江光選手や、スケートボードの中山楓奈選手も在籍していて、競技を続けるのに理解のある環境です。

ことし3月の全日本選手権も制した

斐毬が練習に行きたくないと言ったことはこれまでありません。強制してやらせるのではなく、きっかけをこちらで作ってきただけです。今後の目標は、2030年の冬季五輪出場。すでに戦いの舞台は世界になっているので、あとは精神面と金銭面でのサポートを頑張るしかありませんね。