富山大空襲で亡くなり、氷見市の島尾海岸に流れ着いた犠牲者を供養する慰霊祭が12日、同市島尾海浜公園の地蔵尊像前で行われ、地元住民ら約100人が80年前の悲惨な記憶をつなぎ、平和への誓いを新たにした。
1945年8月2日未明の富山大空襲では、米軍のB29爆撃機が約50万発の焼夷(しょうい)弾を富山市街地に投下した。辺りは火の海に包まれ、市民は戦火から逃れるため神通川へ逃げ込んだ。数日後、川で息絶えた人が県内各地の海岸に漂着したという。
市街地から直線で約16キロ離れている島尾海岸には、11人の遺体が流れ着いた。生まれたばかりの赤子を胸に抱いた若い母や、離れぬよう手を縛り合った寝間着姿の幼い姉と弟もおり、住民は松の木の根元に埋葬した。空襲から30年たった75年、寄付を募って島尾海浜公園に地蔵尊像を建立。開眼法要を行った8月12日に毎年、地元の島尾自治会が中心となって慰霊祭を開いている。
国泰寺(高岡市)の澤大道管長らが読経し、地元住民や氷見市宮田小学校の児童、富山大空襲を語り継ぐ会のメンバーらが手を合わせ、焼香した。ことしは空襲から80年、地蔵尊像の建立から50年の節目。中田正幸自治会長(77)は「二度と悲惨な戦争があってはならないと子どもたちに伝えていきたい」と話した。