バレーボールSVリーグ女子のKUROBEアクアフェアリーズ富山で7シーズンプレーし、2024-25シーズン限りで現役を引退した梅津憂理は、アクアのチームスタッフとして新たなスタートを切った。25-26シーズン、SAGA久光スプリングスからアクアに移籍してきた中川美柚(みゆ)は、東九州龍谷高(大分、以下東龍)で梅津の1年先輩だった。ともに主力としてコートに立って全国大会優勝を果たした高校時代。そして、国内トップリーグで長年にわたって対戦を重ねてきた思い出などを、2人は心ゆくまで語り合った。(横田直)
背中を追える先輩と仲良しに
―大分県中津市で生まれ育ち、小3からバレーを始めた梅津にとって、地元に校舎を構える東龍は「近くて遠い」存在だった。小6時、初めて全国大会に出場し、中3時は全国中学校大会で4強に進出し、個人としても優秀選手に選出されている。東龍へ進学するのにふさわしい選手へと、自らを高めた。
梅津 東龍は、幼い頃からの憧れでした。中3の夏、東龍と練習試合をさせていただく機会があったんです。選手たちはみんな上手で、東龍に行くためには中学で成績を残さなきゃいけないって改めて思いました。
中川 中学時代の梅津の印象というのは残ってない。高校に入ってきてからは、年下とはあまり思っていなかったかな。頼りがいがあったし。得点を決めた後の盛り上がり方が梅津は違ったなって。本当にチームを盛り上げてくれていたと思うよ。
梅津 先輩たちが得点を決めてくれるので、自分にしかできないことを見つけなきゃいけないなと思っていたところ、監督から「吠(ほ)えろ」って言われてたんです。すごい先輩がそろう中、中川さんは同じアウトサイドヒッター(OH)で、ジュニア(世代別代表)に召集されている方。いい意味で一番に背中を追える先輩で、なりたい存在でした。
中川 仲は良かったよね。

梅津 中川さんの寮の部屋、結構行ってましたね。
中川 しゃべる時間が長かったよね。梅津はオタクで、部屋にでっかいポスターを貼っていたのを覚えてる。
梅津 当時は三代目( J Soul Brothers)が好きでした。