ここ数年、戦争と政治、自然災害のニュースがほぼ毎日報道されている。内容を知るにつれ、「正義」とは何かを考えるようになった。私と同じように感じる人も多いのだろう。SNSはもちろん、最近は国内外のドラマで「正義」を扱ったものが増えている。 

 「デアデビル:ボーン・アゲイン」はスラム街となったニューヨークを舞台に、盲目の弁護士がマスクを被った正体不明のファイターとして悪に立ち向かい、「正義」を追求するクライムアクション。世界的に人気がある「マーベル・コミック」のヒーロー作品だ。

 両目の視力を失っているマットは、昼は弁護士、夜は超人的な力を身につけた「デアデビル」として、街の様々な悪と闘っていた。カトリック教徒でもあるマットは、決して殺しはしないことを信条としている。

イラスト:kumiko yamaguchi

 マットの親友フォギーは「デアデビル」の正体を知る人物のひとりだ。マットの活躍により街の治安が維持されていることを喜びつつ、生傷が絶えない彼の身を案じていた。そんなある日、フォギーはトラブルに巻き込まれるが「(マットがデアデビルとして闘う)口実を作りたくない」と内密に行動し、襲われてしまう。マットは初めて敵に殺意を抱き、行動を起こす。この事件がきっかけで、彼は「デアデビル」を封印する。

 第2話、「法で裁き罰を与えることが正義」と仕事に邁進するマットは、警官殺人の容疑者の弁護を担当する。調査する中で、マットは同僚の警官から暴行を受ける。初めは無抵抗でいたマットだが、こめかみに銃口を突き付けられた瞬間、彼の中にいた「デアデビル」が目を覚ます。応戦した彼に怯え逃げ惑う警官を見つめながら、マットは雄叫びを上げる。

 流れるザ・ヴァインズの「Get Free」にはこんな歌詞がある。「僕は自由だ/自分の心の中を見つめるんだ/ここから僕を救って」。 弁護士として容疑者を守ることは「正義」だが、「デアデビル」として報復することは「正義」なのだろうか。いや、果たして前者も「正義」といえるだろうか。

 本作を観ても結局「正義」とは何か、納得できる答えは見つかっていない。しいて言えば、「正義」とは国や人を取り巻く状況によって変わるということだ。そう思いながらテレビを観ていると「『正義』は簡単にひっくり返ってしまう」というナレーションで、新しい朝ドラが始まった。またドラマを観て「正義」について考える日々が始まりそうだ。

DJ CHIGON 富山市在住。ロックDJパーティ「LOVEBUZZ」のDJ。インディーロックを中心にプレイしている。