沖縄の伝統工芸として知られる芭蕉布は、南国の光を抱いたような奥ゆかしい光沢を放ちます。抑えた艶は、手仕事の賜物。実は機械で芭蕉布の糸を紡ぎ、織り上げることも可能なのですが、そうすると、光沢がぎらぎらと強くなり、布の魅力を損ねてしまいます。
ぎらつきを抑え、芭蕉布に芭蕉布らしい落ち着きを与えている要素は、糸を手作業で引き出すときに生まれる小さな傷。糸に傷がつくからこそ、きらめきも控えめになり、ゆえに静かな艶が生まれるのです。傷が結果的に魅力の源泉になるという視点に心をつかまれませんか。日本人が古来、大切にしてきた陰翳を愛でる心そのものを体現したかのような織物は、人の手がかかるからこそ宿る味が鍵になっているのです。

そんな芭蕉布を「引退のない仕事」と語るのは、芭蕉布職人で「芭蕉布協働工房ぱちぱち」の会長をつとめる津波洋子さん(71)。芭蕉の木を育て、繊維を手で取り出し、糸を染め、織り上げる――「原料栽培から織り上げまで」を一貫して担う壮大なプロセスには、気の遠くなるほどの手間暇がかかりますが、実はほとんど一人で行うことが多いそうです。しかしそれゆえに、津波さんのまなざしには、人生をかけるに値するプロジェクトに携わることの喜びが宿っています。年をとって芭蕉を育てる畑仕事をする体力が落ちても、糸づくりなら続けられる。「糸をつむいでいる自分の未来を想像できるんです」と津波さんは語ります。

もちろん、孤独な作業だし、決して大きな利益がもたらされるわけではありません。最終製品は高額にはなりますが、植物を育てるところから始めるだけに、実際の収入は手間に見合わないほど薄くなります。「協働工房ぱちぱち」は、それでもなお芭蕉布に魅入られた職人たちが集い、共に芭蕉布づくりを盛り上げる工房です。8月8日に設立され、拍手をする思いをこめて「ぱちぱち」と名付けられたそう。
現代のきもの業界には「芭蕉布は夏の期間しか着てはいけない」という「ルール」なるものが根強く残ります。しかし温暖化が進む今、津波さんは「一年中好きな時に着てほしい」と願っています。季節限定のニーズに縛られれば、創り手が潤う機会は限られてしまうのです。芭蕉布は、もともと沖縄で人々の暮らしを支えてきた機能的な布です。空洞の多い繊維は通気性が抜群で、夏だけでなく、季節の変わり目でも気持ちよく着られるはず。自由な発想で身にまとうことで、あるいはインテリアに用いることで、この布が持つ本来の力を、より多くの人に感じていただきたいところです。

機械やAIが進歩しても、人の手が刻んだ傷がもたらす渋い艶感は、再現できません。AI時代だからこそ、人の手作業の痕跡から生まれる人間的な美に価値が生まれ、世界で愛される可能性を秘めています。 また、「定年がない」「自分の未来を想像できる」という津波さんの言葉は、人生100年時代における人の豊かさとは何なのかも考えさせてくれます。謎ルールや慣習にとらわれず、自由に纏う。そんな一歩が、風土に根ざす伝統産業を支え、背後にある独自の美意識とともに、豊かさに対する問いを後世に伝えていくことにつながります。
中野香織/なかの・かおり 富山市出身。ラグジュアリー文化を主な対象として取材・執筆・講演・教育・企業アドバイザリーに携わる。東京大学大学院修了。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。著書多数。日本の伝統や卓越技芸をラグジュアリー文脈の中で扱うJ-LuxeSalonでアドバイザーを務める。2025年6月、『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』(日本実業出版)発売予定。