能の舞台において、橋がかりはこの世とあの世をつなぐ架け橋を意味する。シテが静かに歩む姿に不思議な引力があるのは、境界線を超える神聖さゆえだろう。多くの物語の中で橋がかりの役割を果たすのは月光だ。たとえばワイルドの『サロメ』では、月光の下でサロメは理性を忘れて狂気へと突き進む。谷崎潤一郎の『白狐の湯』では、月の光を浴びて狐が人の姿で言葉を話す。村上春樹の『1Q84』に登場したのは二つの月だ。不可思議な出来事の前触れだった。風景をやわらかく照らす月光はまさに日常と非日常をつなぐ橋がかりとして機能する。黒部市出身の園家誠二はまさにそのような二極をつなぐあわいを描いてきた。

 園家は厚手の紙肌を持つ雲肌麻紙を愛用する。微細な凹凸や繊維の間に薄墨を落とし、独特なテクスチャーを際立たせる。部分的な濃淡と繊細なグラデーションによって画面の中に不思議な奥行きを生む。素材を制するというよりも、素材と対話するかのように。

 「月光」と題しているにせよ、具象とも抽象とも言い切れない表現による画面には形も輪郭も見えない。触れれば消える薄もやのような光だけが描かれている。

園家誠二《月光》 (雲肌麻紙、墨、アクリルガッシュ 2011年)

 何かがある。その気配だけがある。感覚だけを頼りに見ようとするから見える。そんな繊細な表現が画面いっぱいにあふれている。5㍍以上の幅の画面の前に立つと、ただただ吸い込まれそうになる。

 園家のルーツは黒部の寺にある。最新作の月光シリーズは襖絵として奉納されることになっている。襖に仕立てられる前の作品も会場では見ることができる。 (田尻秀幸)

「ひらけ墨画ワールド 園家誠二—つくる世界・そだてる絵」
会  場:富山県水墨美術館
会  期:開催中〜2025年5月11日(日)
開館時間:9:30 〜 18:00
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は
    開館し翌日休館)
入場料:一般 500円、大学生 250円、高校生以下・障害者手帳提示無料
お問合せ:076-431-3719