《布団に移り『時間』。さっぱり頭に染み込んでこず、すぐ閉じた》
阿久津隆『読書の日記』は、読書に読書を重ねる日々を送るあるカフェオーナーの記録である。来る日も来る日も本を読んでは、ああでもこうでもないと思考を巡らせる。『読書の日記』は読書だけの日記ではない。物体としての本。それがどのように生活に影響を及ぼすのか、的確に捉える。

冒頭の『時間』は、吉田健一『時間』(講談社文芸文庫)のこと。阿久津はこれをゆっくりゆっくりと読み進める。しかし、いま過ごしている時間と本との相性のせいか、目で追う文章が思考に馴染まない。それは書いておかなければ忘れるであろう、薄い薄い記憶だ。日々の様々な出来事に左右され、全く同じ本でも昨日と今日では質感が変わってしまう。日々の生活が読書を邪魔することもあれば、豊かにすることもある。
日々の生活と、読書が手をつなぐ人生。食事のように本を摂取する人生。そこにある不確かな時間、ゆらぐ時間。その時のその感情のその理解のその一瞬。本は固体のように誤解されているが、それは違う。本は液体である。私たちの日々を侵食する、文字という文字の集まった、紙の束の形をした液体である。私が普段、通り過ぎていくような、なんでもないように思える数々のことが、ここには記述されている。
ページを繰りながら布団の真横の読書灯の下で、ちょっと泣きそうになった。読書の日々。普段、灯のともることのない読書の日々。暗闇の中でぼんやりと明かりがついて、消えていった読書と思考が、眩しく光る。消えていくように思えた時間は、決して消えきってはいないこと。ひしひしと実感して、本を閉じる。
なお、この本はどこまでもどこまでも読書の日々がつづられているシリーズで、本書で第4弾。これからも読書はつづられていく。続いていく。