
新聞配達で姉をサポート
―お二人はどんなお子さんでしたか?
2歳差なのですが、とても仲が良くて優しい子たちでした。まだ保育園にも行かない頃から私の内職を手伝って、ご近所に届け物をしてくれました。親が一生懸命やっているのを分かってくれていたのかな。「子は親の背中を見て育つ」というのは本当ですね。
やがてお姉ちゃんが新体操に打ち込み、物入りになると、当時高校生だった弟のゆういちが新聞配達をして家計を助けてくれたこともありました。

決して裕福とは言えませんでしたが、子どもたちにはいろんな経験をさせたいと思い、動物園や美術館、話題のスポットに積極的に出かけたり、さまざまな習い事をさせたりしました。テレビの「ちびっこのど自慢」にも出場しましたよ。「周りに負けてほしくない、自分に自信を持ってほしい」という一心でした。

突然のお笑い宣言
―小さい頃から芸人に憧れていた?
いえ。明るい性格ではありましたが、学級委員や生徒会役員を務めるような子たちだったので「将来は公務員に」と期待していました。
だから、幼い頃から「警察官になる」と言っていたゆういちが高3になって突然、「東京のお笑い養成所に行きたい」と言い出した時はビックリ!夫は大反対でしたが、私は「やりたいことがあるなら応援しよう」と決めました。何を隠そう、私も若い頃は歌手に憧れていたので(笑)。それに、子どもが大きな決断をしたとき、両親がそろって反対するのは良くないだろうとも思いました。

ゆういちは上京し、仕送りも受けずに養成所で頑張ったのですが、志半ばで体調を崩して富山に戻ってきました。それでも夢は諦めず、地元のお笑いコンテスト出場を目指します。ところが相方が見つからない。見かねた私は、保育士をしていたお姉ちゃんに「かわいそうだから一緒に出てあげて」とお願いしました。これが姉弟コンビの最初の一歩です。

お姉ちゃんとしては1度きりのつもりだったのでしょうが、うまくできず悔しかったみたい。翌年、二人で再挑戦して受賞したのをきっかけに、ライブや地元テレビ局のレポーターの仕事をいただけるようになり、後に東京の芸能事務所にも所属しました。関西のテレビ番組で親子共演したのは、今でもいい思い出です。

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