ジュネーブ国際音楽コンクール作曲部門で2位入賞を果たした中橋祐紀さん=2022年10月、スイス

ピアノは兄の影響

-祐紀さんと音楽との出合いは。
3歳上の兄を追って、5歳でピアノを始めました。鳴った音の高さを兄弟で当てることもあり、兄の影響は大きかったと思います。小学生の時には、ゲーム音楽をまねて作曲ソフトで曲を作っていました。私は音楽と無縁だったので「すごいね」と褒めることはありましたが、練習を強制した覚えはないですね。ピアノは中3まで習ってました。

年長児の時、演奏を楽しむ祐紀さん 

―でも音楽一辺倒ではなかったんですよね。

小学校低学年の時、ソフトボール教室に参加させたら夢中になり、教室のある日の朝は「ソフトボールや!」と、張り切って起きていました。少年野球チームに入ってから中学校時代までは「野球が一番」だったので、音楽の道に進むとは思いもしませんでした。

好きにしていいがやぞ

幼い頃は野球に夢中だった祐紀さん

―転機は何だったのでしょうか。

高校1年の時、音大に進学した兄と音楽について話していたのを耳にし、私は「えっ、お前も音楽の道にいくの?」と言ってしまったんです。本人は「いやいや」と否定していましたが、私が驚いて言ったので、反射的に否定させてしまったかなと、内心反省していました。そんなある日、進路について話題になったときに「お前の人生だから好きにしていいがやぞ」と伝えました。その後、祐紀は作曲を本格的に学び始めました。今思うと、ターニングポイントだったかもしれません。

―音大やパリへの進学といった節目に、相談はあるのですか?

どちらも自分で決めてから伝えられ、「ああ、そう」という感じです。「私の人生設計もあるので早めに伝えてくれ」とは言ってます(笑)。

―今回の受賞の第一印象は?

何より本人がとても満足していたようなので、それが一番嬉しかったです。志した道で良い評価を受けて本当にありがたい思いでした。

一緒に喜び肯定的に接する

―文夫さんもフルートを始めたそうですね。

私は剣道一辺倒の体育会系だったのですが、他にも趣味を持ちたいと思い、56歳で始めました。校長を務めていた小学校の卒業式の日に卒業生に向けて演奏させてもらいました。祐紀に3曲を作ってもらい、「北陸の旅情」という私のリクエストに応じて作ってくれた曲は、特に気に入ってます。彼が普段手掛ける現代音楽は難解な印象があるのでどうなることかと思いましたが、私のレベルに合わせてくれたみたいです(笑)。

勤めていた小学校の卒業式でフルートを演奏する文夫さん

―祐紀さんをどのように応援してきましたか。

本人が「やりたい」と言ってることを否定する必要はありません。本人の喜びを一緒に喜び、なるべく肯定的に接してきたつもりです。今後も、本人がやりがいを感じているのならそれ以上は望みません。

中橋祐紀(なかはし・ゆうき) 1995年小矢部市生まれ。石動中学校、高岡高校を経て東京芸術大音楽学部作曲科に進んだ。同大大学院を修了後、2020年9月からフランスのパリ国立高等音楽院に在学中。