一歩踏みだす。
それが一番しんどい。
転ぶかもしれない。方向違いなのかもしれない。
他の人の視線が気になる。足がすくむ。
やっぱり、どうかしている。
でも、みんな最初は誰でもなかった。
社会を動かすあの人も、世界で拍手を浴びるあの人も。
ただ不確かなものを信じた。
転んだら起き上がる。間違っていたらやり直す。
意地悪なやつなんて視界から消す。
窓を開ける。冷たい水を一気に飲み干す。
スニーカーの紐をきつく結ぶ。
それだけで、もう一歩踏み出している。

北日本新聞、「希望スイッチ」押します。3、2、1

北日本新聞社は次代を担う若者の皆さんを応援するキャンペーン「希望スイッチ」をスタートします。閉塞感が漂う不確実性の時代を切り開いていくためには若い力が欠かせません。2023年は4月にこども家庭庁が設置され、5月にはG7富山・金沢教育大臣会合も開催されます。こうしたタイミングをとらえ、キャンペーンでは、国内外で注目を集め、時代をけん引する若者たちへのインタビュー連載や、若者の背中を押すさまざまな事業を展開していきます。そして、活力ある地域づくりを目指します。

◎富山の若者意識アンケートはこちら。
https://viewer.webun.jp/books/viewer/app/P000005411/2023/02/22


「民主主義のDX」で
一人一人の声を基に
対話する社会をつくる

 Liquitous代表取締役CEO
栗本拓幸(くりもと・ひろゆき)

ベンチャー企業「Liquitous(リキタス)」代表取締役CEOの栗本拓幸さん(23)は、デジタルの力で市民一人一人の声が政治や行政に届き、反映される社会をつくろうとしている。自社で開発したソフトウェアは、日本各地の自治体で導入が始まり、住民と行政がウェブ上でアイデアや意見を出し合っているという。「民主主義のDX(デジタルトランスフォーメーション)」に懸ける思いを聞いた。(聞き手/室井秀峰 撮影/鳥飼祥恵)

 

 ―行政がDXを進める動きは最近よく聞くようになりましたが、「民主主義のDX」はまだ耳なじみがありません

高校2年生の時に、実現を目指す運動に関わっていた18歳選挙権が導入されました。18歳になっていろんな選挙のお手伝いをするようになり、いまの選挙制度の現実を目の当たりにしました。候補者は口々に「市民の声は大事」と言うけど、時間的な制約もあって実際は有権者の声を聞けているかいないかではなく、何人と握手したか、ビラを何枚まいたかなどを重視せざるを得なくなっていたんです。「こんな形で(住民の)声を集められるのかな」と疑問に感じ、「デジタル」の活用を思いつきました。
「一人一人の影響力を発揮できる社会をつくる」。これが民主主義のDXの目的です。この世に生まれた全ての人が、何か言葉を発したら誰かにちゃんと届き、その言葉が増幅して世の中を変えうるかもしれない。そんな可能性を信じられる社会をデジタルの力を利用してつくりたいと考えています。

―開発したソフトウェア「Liqlid(リクリッド)」は全国20以上の市町村が導入しています。どんな仕組みですか?

 

私たちは参加型合意形成プラットフォームと呼んでいます。市民と行政の皆さんが、ウェブ上でアイデアを出し合ったり、施策作りに向けて一緒に考えたりといったコミュニケーションができる仕組みです。市民が困り事を書くだけではなく、住民と行政、場合によっては事業者が一緒に地域の社会課題解決に向けた取り組みを共創していく仕組みとも言えます。神奈川県鎌倉市や千葉県木更津市、大阪府豊中市など都市部に近い人口の多い自治体から、高知県の日高村や土佐町といった人口5千人を下回るような自治体まで、さまざまな自治体で導入してもらっています。

「共創する」とは?

現状はパブリックコメントのように、行政側が作った施策案などに対して、住民から意見を募集するのが一般的です。でも、民主主義って、みんなのことはみんなで決めていく双方向性を重視した物事の進め方だと思うんです。だからプラットフォームでは、そもそも何が課題かというところから深掘りするプロセスをたどっていきます。行政が市民に聞きたいことを聞くだけでもなく、市民が行政に言いたいことを書いて終わりでもない。市民と行政が一緒になって、例えば「駅前再開発の施設整備」や「地域の中での移動」といった地域の課題やテーマについてさまざまな探求を行う場として活用してもらっています。反応は非常によくて、鎌倉市では、スマートシティの基盤として導入していただきました。昨年11月から市民向けの運用が始まり、登録者数は約3カ月で400人程度まで伸びてきていて、これは我々の当初想定を上回っています。鎌倉市としても高い期待をお持ちで、より積極的に活用したいと話されています。

―子どものころから政治や民主主義に興味があったそうですね

 

両親がともに海外出張のある仕事に就いていて、「今日はバングラデシュにいるよ」「アメリカに着いたよ」などと、出張先から電話をかけてきてくれました。図鑑でその国を探すうちに自分の国が欲しいと思うようになって、架空の国を考えて段ボールで通貨を作ったり、国旗のデザインを考えたりしていました。政治や民主主義に興味を持つようになった原点はそこですね。
祖父から戦争体験を聞いたことも影響しています。第2次世界大戦で米軍が宮崎県の海岸に上陸する計画があって、母方の祖父は海岸に掘られた穴の中で爆弾を抱えて待機する要員だったんです。結局祖父は出撃しなかったのですが、血のつながった人間がそんな形で命を賭そうとした「国」ってなんだろうと考えるようになりました。