平昌冬季パラリンピックの競技が終わり、母・美奈子さんと記念撮影する川除さん(当時、雄山高2年)=2018年3月

川除大輝(かわよけ・たいき) 2001年、富山市生まれ。富山市大沢野小、大沢野中、雄山高を経て、日本大に進学。日立ソリューションズJSC所属。18年の平昌冬季パラリンピックでは4種目に出場し、混合10キロリレーで4位に入った。21年12月にカナダで行われたワールドカップ(W杯)では男子スプリント立位で4位に入った。身長162センチ。

活躍信じ、障害者競技の道へ後押し

中学3年のとき、現在、所属する日立ソリューションズ障害者スポーツチームのスキー部「チームAURORA」ジュニアスキークラブに加入するよう誘いを受けました。それまでは健常者と同じ舞台で戦ってきたので、大輝は迷っていました。

しかし大会を見てきた私(父)は、年齢が上がるにつれ健常者と力の差が出てきたように感じていたので、「障害を認めて『パラ』の方で頑張ってみたら」と背中を押しました。

「健常者と戦いたい」という本人の気持ちも分かりましたが、一生懸命に努力を続けてきた大輝ならパラ選手として、活躍できると思ったのです。 

北海道で行われたスキーの全日本クロスカントリー音威子府大会にエントリーした当時、雄山高1年の川除さん=2016年12月

 大輝は、渋々ですが私の言葉を受け入れ、日立ソリューションズに入部。雄山高に進んでからは、障害者向け、健常者と一緒に競う大会、どちらでも頑張っていました。スキーの強豪である日本大への進学は、本人が決めました。

雄山高 3年のとき、札幌で開催された障害者ノルディックスキーのワールドカップで3位に入った=2019年3月 

スキーの道に進むことに対して心配していることは特になく、反対したことは一度もありません。子どもが好きで取り組んでいることを応援したい、それだけです。

今はいろんな人にサポートしてもらい、国際舞台で活躍できるようになり、自分の子ではないように感じることもあります。北京冬季パラリンピックでも、体格がいい海外の選手に負けず、頑張ってほしいと思っています。 

気持ちが強い子に育ってほしい 

大輝が成長する中で、私(父)がよく言ったのは「絶対、負けるなよ」です。障害があるなしに関わらず、気持ちが強い子どもに育ってほしいと思ったからです。

今でも、大会前にはLINEで「絶対、負けるなよ」という短い言葉を送ります。「分かった」とだけ返事が来ますね。私(母)は「負けるなとは言わず、頑張ってね、応援してるよ」と声を掛けています。 

将来どのような道に進むのかまだ分かりませんが、とにかく今は、一生懸命に競技に取り組んでほしいです。そして障害がある子どもたちの目標となる存在になってくれたらうれしいです。

川除さんの子ども時代を振り返る父、大輔さん(左)と母、美奈子さん