平昌冬季パラリンピックの競技が終わり、母・美奈子さんと記念撮影する川除さん(当時、雄山高2年)=2018年3月
「本人のため」と一歩踏み出し 2歳から保育所へ
大輝は生まれつき両手足の指の一部がありません。生まれた当初は、障害があることで、他人から心ない言葉をかけられるのではないかと不安で、外出できないでいました。しかし「多くの人と関わった方が本人のためになる」と一歩踏み出し、2歳のときから保育所に通わせました。

小さい頃は、いつ障害を自覚するのかドキドキしていました。そして保育所に通っていたとき、私(父)と一緒にお風呂に入っていて、「どうして指がないの?」と聞いてきたので、「お母さんのおなかの中にいるときにけがをしたから」と説明しました。本人は「ふーん」と言っていました。
サッカー、水泳、そろばん塾も
子どもは、姉2人と大輝の3人きょうだい。障害に関係なく何でもできるようになってほしいと、姉たちと同じように育て、保育所から小学校にかけて、サッカー、水泳、そろばんを習わせました。
体は小さいけど活発で、このときから負けず嫌いな性格でしたね。一輪車や自転車は、乗れるようになるまで、暗くなってもずっと練習していました。保育所の運動会でも、競技で負けると悔しくて泣きそうな顔になっていました。

人を引き付ける笑顔 友人に恵まれる
「多くの人と関わらせたい」と思う一方、やはり小中学校、高校と進学する度、新しく出会う人たちとうまく付き合っていけるのか不安でした。
でも、常に友達に恵まれ、元気に通ってくれました。小さい頃から、いつも笑顔でいるよう伝えてきました。笑顔は、人を引き付けますから。また、あいさつもしっかりするよう教えてきました。それが良かったのかもしれません。
一度だけ、障害を理由に泣いたことがあります。小学校低学年のときで、サッカーの試合中に「指がない」と言われたのが理由でした。
私(父)が「言わしておけ。あいつよりもうまくなって負かしてやれ」と励ますと、泣きながらうなずいていました。
心ない言葉を掛けられることは、他にもあったかもしれませんが、私たちが知っているのはこれだけ。きっと素晴らしい友達に支えてもらってきたのだと思います。

中学時代、陸上で心肺機能を鍛える
スキーを始めたのは小学1年のときです。いとこの影響で、地域のスポーツクラブに入りました。親としては「友達と楽しんでくれれば」という軽い気持ちでしたが、もともとスポーツが得意だったこともあり、スキーの面白さにのめり込んでいき、中学校でスキー部に入りました。
足腰や心肺機能を鍛えるため、陸上部とジュニア向けの陸上クラブにも加入していました。それがスキーに生かされ、2、3年生の時には、全国中学校スキー大会に出場しました。
ちなみに、1年の時には、ソチパラリンピックに向けて行われた日本チームの合宿に参加しました。