私がツヨシのいじめに取り組むことになった発端は、4年2組の担任になって間もない学級懇談会の場であった。それからは、まさに激動の一週間であった。
いじめの現場を目撃した。再調査の結果、いじめの実態が浮き彫りになった。出張時に「いじめっ子」たちによる掃除サボタージュが起きた。「ピンチはチャンス」とばかり、ツヨシを追及し、力でねじ伏せた。そして、今、保護者からの手紙によって、ツヨシをはじめクラスの子どもたちが涙に暮れているのだ。
そんな子どもたちの中で、私が気になっていたのはアキコである。手紙をくださったのはアキコの母親だったからである。事前に了解を得て子どもたちの前で読ませてもらったのだったが、アキコはどんな思いで聞いているのだろうか。
手紙の中では、学級懇談会後の親子のやり取りについても、次のように触れられていた。
母親は学校からの帰り道、同じクラスの母親から「あなたのお子さんも、いじめられているらしい」と聞かされた。しかし、すぐには信じることができなかった。日ごろから親子の会話やふれあいを大切にし、我が子のことは何でもよく分かっているつもりだった。「学校でいじめられたりしていないの?」「もし、いじめられたら、ちゃんと言ってね」と何度も言い聞かせてきた。それなのに、どうして…。
その日の夜、母親はアキコと向き合った。そして、同じクラスの母親から耳にしたことを確かめた。アキコは即座に否定したものの、何度も問いただすと黙り込んだ。みるみるうちに顔色が変わり、目から涙がこぼれ落ちた。しゃくりあげながら、いじめられていることを認めた。本人の口から初めて聞かされた母親は「なぜ、嘘をついたの!どうして、これまで黙っていたの!」と責めた。「嘘をついて、ごめんなさい」と言ってアキコは泣きじゃくった。母親は「こんな子どもに育ててきた覚えはない。親として、ほんとに情けない」という気持ちでいっぱいになった。
そのような内容が綴られた後、親として、大人として、いじめに対して何もしてやれなかった自分自身を責め、悔いる言葉が連ねてあった。そして、次のような言葉で締めくくられていた。
「これからは、お父さん・お母さんたちが先生と力を合わせ、4年2組のみなさんを守っていきます。だから、お父さん・お母さんを信じてください。先生を信じてください。そして、みなさんと先生とお父さん・お母さんと手を取り合って、いじめのないクラス、だれもが安心して過ごすことができる4年2組にしていきましょう」

手紙を読み終えた私は、改めて子どもたちの方へ視線を向けた。やはりアキコは泣いていた。幾筋もの涙が頬を伝って流れた。
私は、ツヨシを中心とした長期にわたるいじめによって、一人一人が失ってきたものがいかに大きかったかを子どもたちに淡々と語った。
いじめの事実を教師にも親にもひた隠しにし、結果として教師と親を欺(あざむ)き、騙(だま)し続けてきたこと。いじめによる苦痛やストレスから授業に集中できず、学ぶ意欲が失われ、学力が著しく低下してしまったこと。何よりも大切な心を傷つけてきたこと…そのことを知った親はどんなに嘆き悲しむことかと。
私の話に聴き入っているうちに、すすり泣きが波紋のように広がっていった。クラスメイトに取り囲まれるようにしてツヨシも肩を震わせて泣いていた。私とツヨシの二人を包むようにして立ち尽くしていた子どもたちを各自の座席に戻した。着席するやいなや一人残らず机に突っ伏して泣いた。みるみる机の上が涙に濡れて光った。バンバンと机を手で叩きながら声を上げながら泣いている。号泣の大合唱が、まるで地獄の底から響いてくるように聞こえた。私は、今、ここでの時間を生涯忘れることはないだろうと思いながら黙って子どもたちを見つめていた。頬を伝って流れる涙の一滴一滴が、子どもの心を浄化してくれているように思えた。
やがて、私は子どもたちに原稿用紙を3枚ずつ配った。そして、次のように呼びかけた。「今の気持ちを書きなさい。一枚はお父さん、お母さんに、次の一枚はクラスの友達に、最後の一枚は先生に向けて書きなさい」
子どもたちは泣きながら、原稿用紙を涙で濡らしながら書き続けた。
先生がぼくの悪いところを言っても、ぜったい死なないでください。お父さん、お母さんは、ぜったい、そんなことをしないと思います。それと、今のことで、みんなで悪いことを話し合い、みんなで反省して、みんなで泣きました。
ぼくをうんでくれたお父さんやお母さんが、ぼくのやってきたことを知ったら、どんなに悲しむだろう。なんてなさけない子だというだろう。お父さん、ごめんなさい。お母さん、ごめんなさい。これからは、お父さんやお母さんを悲しませたりしません。これからは、いろんな人にいいことをします。
きょうは、いろんないじめの話で、みんながくるったように泣き出した。ツヨシくんのことを話し合うつもりだったけど、みんなで反省し合って、みんなが不安になって、悲しくて、つい涙が出てしまいました。いままでのつらいことがすごく頭に残っていて、すごくくやしかったことを思い出したのだ。体の力がぬけていくような気がする。これからは、ちゃんと忠告できるようにしたいです。
今、私の心は、これからの安心と一つのもやもやでいっぱいです。いじめっ子のツヨシくんは心から泣いているのです。今、私が泣きやんだとき、初めてみんなが泣いているのに気づいたのです。もやもやの一つは、お父さんやお母さんにどのようにあやまればいいかです。これまでに言ったこともたくさんあるのですが、まだ、わずかのことをかくしているのです。でも、わずかなことでも、言えばいいと思います。半年もかからないうちに、この教室はいい教室になると思います。とてもいい教室になるように努力したいです。
私はだれかがツヨシくんにいじめられているのを見ていても、「かわいそうだからやめれば」と言えず、友達といっしょにツヨシくんに聞こえない小さな声で「かわいそう」と言っていました。だけど、きょう、ツヨシくんに意見を言えました。きょうから先生を信じられたからです。今まで本当のことを言えなくて、ごめんなさい。本当にごめんなさい。
ぼくの今の気持ちは、自分が生まれ変わったような気持ちです。これからは、だれかがいじめられているとき、先生が教えてくれたように「見て見ぬふり」をしないで、自分から注意したり、先生に言ったりしたいです。
先生の話を聞くと、いろいろ思い出す。こらえたけど、目から涙が洪水のようにあふれた。その前は、「いつ、いじめを解決できるのだろう」と心配だった。これまでの3年間を思い出したら悪いことばかりあった。思い出すたびに、どっと涙がこぼれる。長い間のことが、つい最近のようだ。3年生のとき、学校へ行ったらぜったいに何かされると思いこんでしまったことが何回もある。今までのことは、みんな悲しいことにつながってしまう。でも、きょうで解決されたわけではない。まだ、今からなおしていかなければならないことがある。それをまた解決していきたい。
ぼくはなさけないと思いました。なぜかというとツヨシくんがケンジくんの頭を水を払うゴムベラでたたいたのを見ていながら、ツヨシくんが「言うなよ」と言ったから、だれにも言わなかった。自分はいくじなしだと思う。人間のくず。なんでツヨシくんの言うことをきくのだろう。おかしいと思う。なさけない。
クラスのみんな、先生、今まで一番だまっていたことは、いじめられたことです。男の人がよく文句を言う。きょうから私は入れ替わり、男の子になんか文句を言われたら、すぐ先生に言って、その子をしかってもらいます。これから、心を入れ替え、黒い心を涙で流して白い心にします。
◆寺西 康雄(てらにし・やすお)◆

富山県内の小・中学校と教育機関に38年間勤務し、カウンセリング指導員、富山県総合教育センター教育相談部長、小学校長等を歴任。定年退職後、富山大学人間発達科学部附属人間発達科学研究実践総合センターに客員教授として10年間勤務し、内地留学生(小・中・高校教員)のカウンセリング研修を担当。併行して、8年間、小・中学校のスクールカウンセラーを務める。
現在は富山大人間発達科学研究実践総合センター研究協力員。趣味・特技はけん玉(日本けん玉協会富山支部長、けん玉道3段、指導員ライセンスを所持)。
