娘が産まれた三月三日は金曜日だったので、産後二日間は土日、私の休日に当たっていた。四日の朝十一時、昨日産まれた娘・琳が、コットに寝かせられて、病室に運ばれてきた。いよいよ母子同室が始まる。
ナースにおむつの替え方など教わり、さっそく授乳を試みる。授乳は最初からスムーズにいき、かえって驚いた。豊富な栄養と免疫成分を含んだ初乳を、無事飲ませられてよかった。誰に教わったわけでもないのに、あやまたずに母親の乳首に吸い付き、頬を波うたせて乳を飲んでいる様子を見て、生命の不思議に打たれると同時に、今まで感じたことのない、胸が焼けつくような愛おしさがこみ上げてきた。
愛しさは傷みに似つつ吾子見れば気道焼かるるごとき心地す
その日の昼過ぎ、私はいったん病室を出て、高速道路を使って自宅に戻った。片付けと必要な物の持ち出しのためだ。よく晴れて気持ちのいい日和だった。春らしい明るさの中、座敷に掲げてある父の遺影を仰ぎ、仏壇に参って、娘の誕生を報告した。庭の梅が、咲き揃っていた。
暗くなってから病院に戻る。一日、何かとお世話してくださった妻のお母さんも帰られ、妻と私の二人だけで娘の世話をする。父親だけが、母子とともに病室に泊まることを許される。本格的に、娘の世話が始まる。それは最初から、想像以上に大変だった。
昼はすやすや眠っていた娘が、夜になると、授乳したり抱っこしたりしていないと、すぐに泣く。抱っこして腕の中で眠ったのを見てそっとコットに寝かせるが、その途端にまた泣き出してしまう。つねに、私と妻のどちらかが抱っこしていないといけないことになる。娘は、昨日まで妻のお腹の中で過ごしていた。少しでも身体を離され、体温や鼓動を感じられなくなると不安で泣き出すのは、考えてみれば、当然だ。それでも私は4、5時間は寝られた。妻はろくに眠れなかっただろう。
夜が明けても、娘は泣き止まない。授乳、抱っこを間断なく繰り返す。まだ妻の乳の出が少ないので、お腹が空くのだろう。母親の睡眠不足は母乳の出にもかかわるというので、ナースにミルクを足してもらって、娘を泣き止ませ、寝かせる。
それに加えて、妻は昨日から腰の痛みを訴えている。お産の痛みだ。午前中、体重などをみてもらうため娘を新生児室に連れて行くときも、妻は脚を引きずるようにして、ゆっくりとしか歩けなかった。
娘を取り上げてくださったドクターが様子を見に来られた。私が「寝かせようとするとすぐに泣くので…」と訴えると、「赤ちゃんは泣くのが仕事だ」と笑って応えられた。そして、父親としての自分自身の思いを回顧して、「子どものためにこんなに、こんなにしてあげても、子どもは母親の方に行くんだよ」と悔しそうに言われた。評判の良いこのドクターは、本当に子どもが好きなんだな、と思った。そして私はドクターのこの言葉を、複雑な気持ちで、何度も何度も、思い起こすことになる。
◆高島 裕(たかしま・ゆたか)◆
1967 年富山県生まれ。
立命館大学文学部哲学科卒業。
1996年「未来」入会。岡井隆氏に師事。
2004 年より8年間、季刊個人誌「文机」を発行。
第1歌集『旧制度』(第8回ながらみ書房出版賞受賞)、『薄明薄暮集』(ながらみ書房)などの著書がある。
第5歌集『饕餮の家』(TOY) で第18 回寺山修司短歌賞受賞 。
短歌雑誌『黒日傘』編集人。[sai]同人。
現代歌人協会会員。